山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

ドッソ連載完了と記者の作法

神戸新聞・小林記者の熱心な取材は24日午後4時30分から2時間あまり。対面談話記者の取材の力点が何処にあるのか探りながら取材に応じた。
私としてはあくまで恩師有永正人の人間性とその音楽教養の源が奈辺にあるかに話を絞ってお答えし、収集している資料のほとんどを差し上げた。
先生が関西学院のグりーで活躍され、グリーの大先輩で日本の洋楽の創人の一人である山田耕作先生の指導影響を受けられたことは記者にとっても新事実だったろう。
願わくば、明石中学校音楽部の練習曲用に編纂された校庭行進曲が呉幸五郎氏(舞子五郎)が作詞され「若き日の歓び]が誕生し、作曲者名に初めて結城満彰と洒落っきの名前を入れられたことも伝えたい物語として取り上げてもらいたかった。
しかし、本日の記事を読むに及んで、記者の関心は其処になく、あくまでドッソに的を絞っての内容であることを確認した。
まあ、我が思いと違っていたのは致し方ないことだけど、せめて取材に全面協力した取材元ぐらいは文尾に記載して然るべきとなにやら腹が立ってきた。こんなのは記者たるものの作法にあらずや。