山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

70歳の憂鬱

この一月少々滅入った気持ちで過ごしています。これはやはり70歳と言う歳がもたらす副作用、いや当然の精神状態?
あと10年生きるにして今の生業をどのあたりで切り上げれば良いのか。集積したコネクションを誰かに伝えるべきか。生来の好奇心の衰えは?等。
つのしんの独り言アーカイブを再掲してみると、2年前のことながら、季節も今頃、龍馬街道を辿るドライブに精を出していた。病み上がりにも拘わらず。

さて、この2年自分自身にどんな展開と発見が有ったのか、無かったのか、立ち止まって考えることが、どんなゴールか知れないがやがて到達せざるを得ない近未来までの道筋の選択に必要とも思い出した。
それと、どうもジンワリと応えてきているのが生涯の相棒ともいえるH君との早すぎる別れ。私が前立腺全摘手術を受けた際、真っ先にお見舞いに駆けつけてくれて、まだまだ仕事が待っていると励ましてくれた本人が、2年前たった2ヶ月の入院であっけなく身罷った。変な咳をしているので大丈夫かと気遣ったすぐ後に検査入院しますとの電話を受けたきり、亡くなったとの知らせが有るまで何の連絡も取らなかったうかつさ。まさかまさかの別れ。彼とは仕事いがいでも、もっと話し合っておくべきだったのに。

人に関してのもう一つの憂鬱はN君のこと。60歳を超えて人生最後の逆転を願っての不動産仲介参入だが通算3年半を過ぎるというのに、未だ1件の成約も果たせないでいる。
ある業界で一時は飛ぶ鳥を落としたこともある実績を持ちながら、華麗な人脈も有りながら、出会いがしらのビギナーズラックもないままの今日。
多分私めの指導が悪いのが原因だろうが、この業界、自分で全部を仕上げて何ぼの世界。指示を待っているようではただの使い走りに終わる。

そして、一番こたえているのが昨年11月のEによる仕事上の裏切り行為を受けたこと。これがじわじわ効いてきて、この一件の客先の円満な解決を見ていない今、その無事落着を見ないことには胸の閊えが収まりそうにない。

龍馬街道③漁師物語

朝6時に魚住を出発。明石西ICに入った途端に東加古川で事故渋滞。これを通過するのに約一時間かかった。
やっとのことで抜け出した後は順調に車を走らす。
瀬戸大橋を渡り松山道に至れば、とにかく車が少ない。10:30みは石鎚山オアシスで一服。(270K)
松山を横目で見ながら肱川の川船ののんびりした風情を愛でる。
八幡手前で371Kだ。あとは三崎港まで延々岬を走行する。
風力発電機が20基、見上げる蒼空を泳いでいる。
岬の中ごろに至れば伊予灘宇和海が一本の橋を挟んで左右に迫る。誠に奇観なり。
三崎漁師物語りに到着して早速海鮮イセエビ料理を堪能したのは夕までもありません。血糖値めちゃ上がり。
三崎港に引き返し九四フェリー4:40に乗船。佐賀関まで約一時間の船旅を楽しむ。