山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

2008-06-01から1ヶ月間の記事一覧

サッカー命の日々⑮平成5年2部復帰に沸く

本学グランドでOB戦、その後大学生協ホールにて総会、現役全員参加の懇親会のスタイルは平成6年の総会から始まった。平成4年の総会で決議された、1000万基金計画は、各人10万円払い込めば年齢に関係なく、終身会費免除となる規約が定められ、また60歳以上…

適寿リハビリテーション病院20周年パーテイ・大政奉還を望む

6月28日(土)新神戸クラウンホテルにて「おかげさまで20年」と題して医療法人社団康人会・適寿リハビリテーション病院の20周年記念講演会と懇親会が開催されました。12席18テーブル約220人を数える大PARTYでした。われわれ夫婦も招かれて、土陽会の小島専務…

サッカー命の日々⑭木下健終身名誉会長

手元に資料として有るのは、淡水サッカー創立35周年号(昭和40年・1965年)・1部復帰祈念特別号(昭和48年・1973年)・田中博先生追悼記念特集号(昭和51年・1976年3月)・創部50年記念特集号(昭和55年・1980年)の4冊子であり…

松岡周平・風聞異説「弥太郎さんの品格」考

神戸の街に月刊KOBECCO神戸っ子が有るように、高知にも季刊高知があります。KOBECCOを見つけては、〈連載〉神戸異人館物語・夜明けのハンターをひろいだして読むのが愉しみ。ハンターは後に日立造船の魁となった大阪鉄工所を安治川に開いたことで有名で、ハ…

サッカー命の日々⑬グランド外での恩

勿論、先輩連にはひたすらグランドで可愛がって貰うばかりではありません。4回生時の監督学部8回生・芝田薫先輩は当時芦屋市役所福祉事業部に属しておられ、度々グランドに現れてご指導頂いた。氏は確か入学は学部6回のはずで、2部落ちが悔しくて、2年…

サッカー命の日々⑫気違いに刃物・Nに笛

良き先輩・同輩に恵まれてのサッカー暮らし。授業はサボっても、午後からの練習には必ず参加。帰宅部の学生が高丸の坂を下る頃、ボツボツ商大下でバスに乗り込む。着替えももどかしくグランドに飛び出す。この気持ちはラッパの練習時にも感じることから自らを体…

サッカー命の日々⑪クラマー小林・ソックス堀川

中・高とは音楽部。100M競争では、校内で2番。ただし、1番はブッチギリの10秒5-6で東京オリンピック男子400Mリレーの一番走者を務めた浅井浄君。実質素人1番と考えても良いんじゃないか。でも日ごろ運動をして鍛えているわけではないから、連日の練習でとう…

サッカー命の日々⑩神戸商大サッカーとの遭遇

昭和37年5月13日三大学(岡山・広島・本学)広大正門前 前列右端 いまさらながら、よりによって凄まじい実績と輝かしい伝統を背負った神戸商大サッカー部に入部さえしていなければ、このような命を削るまでの試練は待っていなかったことだけは確かです…

サッカー命の日々⑨サッカーシューズよさようなら

昭和40年(1965年)秋季リーグ第4戦の模様は、「サッカー命の日々②大阪・靭グランドの奇縁」に詳しくように、後半40分まで、鍛えに鍛えた執拗な守りの成果であったか、0-0で推移した。2部で全勝して、1部昇格を自明のごとく目標とし、事実目前にしている大…

サッカー命の日々⑧ラッチェル田中先生の願い

淡水サッカー会員名簿の戦前・高商時代を見ましても、高商1回安井会計事務所・安井喜三郎氏、2回東洋紡績社長・会長・相談役歴任の大谷一二氏(朝日新聞大スポーツ記者・大谷四郎氏令兄)、11回毎日新聞外信部長・ベトナム戦争報道で名を挙げた国際ジャーナリス…

サッカー命の日々⑦松本主将を悼む

この2部復帰を祝っての祝勝会が、神戸・元町の中華料亭で賑々しく催された。喜色満面の先輩連が居並ぶうち、とくに喜ばれたのが、田中ラッチェル部長。先生は経済地理が専門で、信奉されていたドイツのラッチェル博士の名を取って、ついた渾名が『ラッチェル』…

サッカー命の日々⑥快男児・河内の暴れん坊松本靖弘主将

同じ35周年記念号P74に私の一年上のキャップテンだった松本靖弘先輩が『こころのイレブン』と題して一文を寄せておられる。田中教授の退官を惜しむとともに、当時の現役の有様に触れ一回生の時の京都合宿でのハードトレーニングを振り返り、現役への励ましの言葉…

サッカー命の日々⑤三大学定期戦・広島大・岡山大

実は、このグランドでの椿事は我々だけの胸に秘めておくべきこと、部員以外の誰も知らぬことと思っていました。勿論我々とて練習ばかりしていたわけでなく、5月になると恒例の三大学定期戦(神商大・岡山大・広島大)があり、その年は岡山大開催で、日本で北…

サッカー命の日々④今ある危機・グランドでの対立

4回生レギュラーは私とセンターバックの長本省三君の2名。あとは3回生7名に2回生2名。4回生の入れ替え戦断固回避、後がない緊張感そのものと、3回生のまだのんびり気分が残っているものとが、同じグランドで練習すれば、当然意識の食い違いから、なにかにつけ…

藤堂高虎と津野親忠①「下天を謀る」安部龍太郎

今や、我が先祖は土佐戦国七雄に数えられる「津野氏」であると思い込んでおります。それが心の拠所の一つとなっているかも知れません。実際はどうなのか、考えないわけでは無いのですが、親父の昔話に、曽祖父・久万蔵が、津野親忠公を祀る考山祭には、裃に…

サッカー命の日々③重い重い伝統を背負って

何故にかくもサッカーにのめりこんだのか、今考えるに自分だに解らない点がある。何故あれほど走れたのか、何故あそこまで勇敢にプレー出来たのか、3回生のリーグ終了後キャップテンを任されてからの丸1年。ある意味、鬼になっていたのかもしれない。2部…

サッカー命の日々②大阪・靱(うつぼ)グランドでの奇縁

昨日岡田ジャパンは無事タイを降した。3-0での快勝を収めた。オシムからバトンを引き継いでから、やっと第3次予選突破のメドがついた。まずは、一安心か。 ところで、件の大久保はションボリスタンドで観戦の姿が見受けられた。国見高校の大久保と平山と…

サッカー命の日々①EURO2008欧州選手権

昨夜は深夜から始まったサッカー・EURO2008欧州選手権一次リーグC組・地獄のC組の第2戦。 イタリアVSルーマニア、オランダVSフランスの2試合があり、42型プラズマTVにかじりつく。終わったころには「夜も白々と明けのころ」となっておりました。結果は…

司馬遼太郎が書かなかった物語

司馬遼太郎は言う。『嘉永6年(1853年)と安政元年(1864年)の二度のペルー来航以来、日本は開国して近代国家を50年にわたって、営々として築きあげてきました。そしてその努力が、日本海海戦の最初の30分に凝縮された。まさにこれこそ、時代の圧搾空気だっ…

龍馬検定・神戸編パートⅡ序奏ー司馬遼太郎の竜馬

来る2010年4月神戸高知県人土陽会の80周年記念事業として、2007年4月に実施した龍馬検定・神戸編のパートⅡ決行は避けられない雰囲気となってきました。前回は土居晴夫先生の威を借りてのドンキホーテ的向こう見ずな、強引な、内容も一人合点を否…

神戸高知県人土陽会第78回総会感想

5月25日のページにあくまで私見としての土陽会小史を記した。かく言うわたしも今年で66歳。我ながらホントカヨの心地でおります。今会を引っ張っていただいている須藤会長・小島専務理事・島本事務長の高知丸の内高校同級生トリオの皆さんもめっきりお…

呉信一TBと伊川谷北を聴いた②TBてつくづく難しい

いよいよ、呉教授のステージであります。颯爽とTBを片手に前よりかなりふっくらとした姿が、舞台上手より現れた。その歩く姿が親父の呉幸五郎氏にソックリ生き写し。体型からしてオヤジ譲りは分っていたけれど、浪人2年目の秋、どうしようもなく日々を過ご…

呉信一TBと伊川谷北を聴いた①

私にとってのふたりとの因縁話もさることながら、演奏会では両人が明石高校音楽部の1年違いであったことは披露されなかった。演奏後のふたりが交わした熱い?抱擁の意味は、高校以来音楽畑で互いに研鑽を重ねてきた想いも込められたものだったろう。それと…

松井隆司指揮・伊川谷北高校吹奏楽部第16回定期演奏会を聴いた③

昭和43年卒業と同時に新設の明石北高校に音楽教諭として赴任した。じつはこの当時から、松ちゃんを明石高校の音楽教諭に迎えようという動きがOB連の中にあり、この動きはその後、松ちゃんの転校時常について回ることになります。実際、県教育委員会のしかる…

松井隆司指揮・伊川谷北高校吹奏楽部第16回定期演奏会を聴いた②

一方、松ちゃんこと松井隆司先生との御縁はこれまた語り尽くせないほど思い浮かぶ。 最初に松ちゃんに出会ったのは、彼が神戸大学教育学部附属明石中学2年の時かな。私たちは3兄妹で4歳下の弟・啓三と8歳下の郁子。不思議なことに難関入学試験をくぐり抜け…

松井隆司指揮・伊川谷北高校吹奏楽部第16回定期演奏会を聴いた①

弟・啓三から電話「6日に神戸文化ホール(大ホール)で県立伊川谷北高校吹奏学部の定演が有るがいかないか」とのお誘いだ。JAZZ畑の弟が吹奏楽のコンサートへ行こうとは珍しいこと、何かあるなと言葉を待つ。「呉信一君が客演だそうだ。」 その一言で心動か…

東北の三大桜を訪ねて⑰角館・小京都なのかな

ツアー最終日R282を八幡平へと出発。長嶺に至りR341へ。熊沢川を遡り、坂平に至ると、そこからは温泉郷のメッカ。東トロコ温泉・長者の湯・トロコ温泉。そして八幡平への八幡平アスピーデライン入口の案内を通り過ぎる。大場谷地を通り抜ければかの玉川温…

東北の三大桜を訪ねて⑯湯瀬は良えぜよ

弘前から今夜の宿泊先・湯瀬温泉へは東北道をつかえばものの70キロ。秋田県鹿角(かづの)市八幡平(はちまんたい)の湯瀬ホテル。ここがなかなかの宿で、フルムーン旅行の締めくくりとしてTRAPICSも少し気を使ったのが分かる。米代川の両岸に8F…

東北の三大櫻を訪ねて⑮弘前城の櫻

津軽氏の領主としての始まりは、南部氏の家臣であった大浦為信が1571年に独立して津軽と外ヶ浜を強奪したこととされている。そして津軽と外ヶ浜を占領した為信はその後豊臣秀吉から所領を安堵され、近世大名としての地位を確立しました。このころ大浦よ…

最近銀座事情・あくまで私見

6月2日芝公園の某社商談訪問の後、弘子ちゃんと銀ブラと洒落込んだ。芝公園ー日比谷に行き、長い地下道を辿って地上に顔を出したところが、東京交通会館。有楽町駅・イトシアを右に見て、西銀座道りを横ぎると、銀座2丁目交差点に出る。銀座マロニエ通と…