山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

2009-08-01から1ヶ月間の記事一覧

戦い済んで夜が明けた・2009衆院選挙

まずは日本人に生まれ落ちたことを感謝しましょう。 この40日あまりの選挙前期間あらゆる予測が飛び交っていたが、それが段々収束して行き、直前には民主300越が確信をもって報じられる。 内心ほんまかいなと思っていると、この暗示に懸ったように日本…

冬の兵士とは

日本の戦争終結は遂に陸軍及び海軍からの執拗な本土決戦・一億玉砕の声を掻い潜って、天皇陛下の玉音放送による終結宣言・ポツダム宣言受諾によりやっともたらされた。 厚木飛行場にコーンパイプを銜えながら降り立ったマッカーサー将軍。そのマッカーサー…

海軍軍令部と「冬の兵士」③海軍第一委員会設置

昭和15年 海軍に第一委員会なるものが設置された。 これこそが、国家総力戦準備の中枢だ。その委員会がまず冒頭に挙げた原則が「ABCD列国が石油の輸出を禁止した場合すなわち開戦とする」というものだった。 まさに戦争ありきでの組織内委員会が、開戦以外…

ブラジル行き計画が実現しそう

弘子ちゃんの同級生でブラジル・クリチバ市の公園局で同市の公園美化に手腕を振るった中村矗(ひとし)が定年引退後もブラジル政府の要請で、ブラジリア職員として活躍中。その様子は、4月3日のテレビ東京の番組で世界を変える100人の日本人の一人とし…

五木・親鸞いよいよ大団円

全国地方有力紙がこぞって連載中の『親鸞』がいよいよ親鸞を名乗るクライマックスに差し掛かっている。 別れと旅立ちのとき(8)では最後、法然上人との面会を果たす中で、初めて親鸞と称することを法然上人に報告する。 それに法然上人応えて「その志や賞…

海軍軍令部と「冬の兵士」②大鑑巨砲の幻影

統帥権という化け物が日本の鼻面を引き回し始めた。 軍艦保有の制限というタガがはずれた海軍は、一挙に大鑑巨砲のシンボルともいえる大和・武蔵の建造に走った。 真珠湾攻撃が航空兵力による新時代の戦法と持て囃され、山本五十六が軍神のごとく祭り上げら…

速報・龍馬検定神戸編初の満点

昨日頂いた龍馬検定・神戸編の解答を答え合わせした。 まず最初の25問、出足好調で25点。そして次の25問も25点。 あれ何時もと様子が違うなと思いだし、座り直して次の25問。 もしかして正解シートを2枚並べているんではと見直すが、見まごうこ…

メモリアル・ジャーニー⑫供養・墓参

1000年の昔、ご先祖さんが命がけで寸土を争っていた怨念はわが身にと乗り移り、今や、土地売買となれば妙に血が騒ぐ。元亨院での和尚さんの読経を聞きながら、親忠を思い出し、親父を懐かしむ内に供養も終り、笹野の墓所へと向かった。あれほどの地所を…

メモリアル・ジャーニー⑪幕末・草莽

関ヶ原の合戦が慶長5年9月15日、親忠の自栽が9月29日。この間2週間、今更ながらその素早さに驚かされる。 盛親は兄殺しを咎められての改易といわれるが、関ヶ原戦勝に伴う報償に頭が痛かった家康にとっては、持っての幸いであったことだろう。また念願の島…

メモリアル・ジャーニー⑩津野親忠の最後

盛親が知ってか、知らずか押し寄せた軍勢が霊厳寺(のち孝山寺)を囲んだ時、親忠は碁を打っている最中だったと伝えられている。 家臣のものが、おめおめ討たれるより、一戦に及ばんとの進言をそれには及ばずと退け、そのまま悠然と碁を打ち終えて後、自若…

メモリアル・ジャーニー⑨関ヶ原始末(序)

長宗我部元親が人変わりしたのは、秀吉に命じられた島津征伐にでかけた戸次川の合戦で、長男・信親を戦死させてからだといわれる。 この信親の死後、早速家督争いが持ち上がる。この時、元親は二男・香川親和、三男・津野親忠を飛び越えて四男・盛親を後継…

メモリアル・ジャーニー⑧元亨院

土佐の海の幸を存分に味わった翌日、いよいよ我が家の菩提寺である元亨院(げんこういん)での供養へと向かう。 元亨院の名前は、随分と子供の頃から聞かされていて、今迄不思議と一度もお参りしたわけではないのに、何故か懐かしい場所に戻るような心地を…

メモリアル・ジャーニー⑦親父の大病

『 後に須崎の町、今の古市町に出てお風呂屋をやりだしてからは、燃料の古材運び・風呂がま焚き・番台と山のような仕事をこなしながらも、「清志よ」と用事を頼もうと思い呼ぶうちに「良し来た」とその要件も聞かぬうちに飛び出して行くような子だったと聞い…

メモリアル・ジャーニー⑥・黒潮本陣

『中土佐町の黒潮本陣は評判にたがわぬ風格と設備で、まるで 土佐戦国七雄の頃の海城の趣きがあります。 その紋からして星三つの下の一の字を飛び魚の泳ぐ様にデザインして秀逸。これは明らかに津野氏の家紋を拝借したものにかわらん。 広々と海を見晴らす露…

メモリアル・ジャーニー⑤土佐のUSAでアワビ飯

PS 先日もお邪魔した「ひろめ市場」。その名前の謂われがどこから来ているのか、なにしろ明石生まれの俄か土佐っ子には分かりかねて、4・5年前には姫路のダイエー後にこの「ひろめ市場」がオープンした際にも早速出かけてお店の人に名前の由来を聞いては…

村上豊画伯ごめんなさい

高知・なかの様から「龍馬が生まれたまち記念館」の龍馬の青年時代を描いた画家の名前を御教授頂きました。 そうそう村上豊画伯でしたね。 何せ戦国から時代ものを描かせれば独特のひょうきんさの味のある画風で、画中の人物の表情の豊かさといったら、思わ…

海軍反省会と「冬の兵士」①軍令部の権限強化

エノラゲイの悪意、長崎のジレンマと民主国家としての米国の恥部をえぐり出すことを書きましたがそれ以上に母国日本の今なお続いている許し難い体質について、その最たる証拠を突きつけられて、ここまで日本は追い詰められ、自暴自棄になっていたのかと愕然…

長崎のジレンマ

昭和20年8月9日軍都小倉上空で目視による爆撃を厳命されていたB29は、雲厚きことから原爆投下場所を長崎へと変えた。その長崎でも上空を雲が覆い目視投下が出来なかった。時間は刻々過ぎるし、仕方なく爆撃手の 大丈夫という声を頼りに原爆を投下し…

龍馬の生まれたまち記念館訪問・さいたにや

高知にきたからにはいろいろとお願いにあがるところがあります。きたる2010の龍馬甲子園への協力をお願いすべく、まずは龍馬研究の総本山・龍馬研究会へとビラを持っていくことと、龍馬の生まれたまち記念館にもビラをおかしていただけるようお願いにあ…

新装・JR高知駅 スナップ

新装高知駅・クジラドームをイメージ。

2009第56回よさこい祭り

11.12日とよさこい・阿波踊りを梯子した。 この時期になるとお尻がうずうずして落ち着かなくなる。といっても。この4・5年のことだけど。 去年のよさこいで観た、上町よさこい鳴子連の可愛らしさが特に良かったことで、今年はどうなったことかたしか…

メモリアル・ジャーニー④海辺の果樹圓

『13日の夜は、夜須駅・ヤシーパークに立ち寄り、翌日お昼用のアワビ飯を注文して、ホテル「海辺の果樹圓」に一泊。名前からして中々の訴えがあリ期待を込めてチェックインする。だって高知ではその名を知らぬものはない 名菓子店・浜幸の直営だというでは…

メモリアル・ジャーニー③日曜市とはりまや橋

『一店一店を順に覗いて歩く。まさに覗くとしか表現できない。花と野菜の豊富なこと、しかもこれが驚くほどの安さ。売り子のオバサンたちの生き生きした表情に見入る。もちろん芋のてんぷらをほおばることも忘れない。 「ひろめ市場」のごった煮感もまた一興…

メモリアル・ジャーニー②旭の名所も桂浜・浦戸大橋

『 神戸高知県人会副会長 津野伸一 堺の県人会総会にお邪魔して、思いがけなく頂いた高知行きのフェリー往復乗船招待券を有りがたく利用して平成13年9月13日(土)夜、大阪南港へ。 目的は、今ではたった一人の生き残りとなった親父の兄妹の一番末っ子で、九…

メモリアル・ジャーニー①

2003年のメモに、これほど気楽なお盆は仕事を始めるようになってから初めてのこととあった。 確かに、入江商店の自己破産に身につまされながらも、俺は何とかやってるぜという気分もあった。 そのまま入江にいたところで、この事態を迎えることになっていた…

もうお盆休み

明日の土曜日から16日の日曜まで大企業はお盆休みに突入だ。 今まとめに入っている大型案件の一方が天下の大企業様で、契約内容の検討をお願いしているところが、今日展開が無かったらしく、お盆休みとなってしまった。 これで確実に10日は空白だ。 売り手…

衝撃・入江商店自己破産

街の入江商店という名のお店はたぶん日本に掃いて捨てるほどあるんじゃないかな。西明石の入江商店は氷屋さんだ。 しかしここで言う株式会社入江商店は私がサッカー2部転落を逃れるべく練習に励んだばかりに、肝心の就職活動を疎かにして、時あたかも昭和40…

献水60年

広島といえば弘子ちゃんの爺さんが江田島の地続き能美島で海運業を営んでいた関係で、原爆投下直後、市内太田川河口に仕事で出かけていた伯父さんの安否を気遣って捜索に行ったとか。その為被曝し、激しい症状までには至らなかったが、60歳にして胃がんを患…

続兵士の証言①

今年もまた終戦記念日(敗戦記念日とは言わない)が近づくにつれてNHKが毎年の恒例といったように『兵士の証言』シリーズを放映する。 そして私はその番組をせっせと録画。けれど、今はこの番組を見ようとは思わない。否、思えない。正視出来ない。 『坂の…

エノラ・ゲイの悪意

今日のニュースステーション。広島の原爆投下について衝劇的な事実を発掘して見せた。 あの日、広島になぜ警戒警報が鳴らなかったのか。爆心地の小学校でただ一人生き残った生徒は、朝令前、 国民服のボタンが取れかかっているのに気がついて、友達にボタン…