2009-04-01から1ヶ月間の記事一覧
年が代わって平成7年1月17日午前5時45分。弘子ちゃんにたたき起こされた。頭上に何かが降ってくる。 弘子ちゃんがかばってくれなかったら大怪我は必定。半端じゃない揺れ、それも縦方向。やはり自然にはかなわないと観念した。 最初の大揺れがやっと…
好天の下、春季リーグ第2戦が母校兵庫県立大神戸のグランドで行われた。 かねてより、母校で行われるこの試合を去年思いがけず逝去された故矢頭会長の追悼試合と定め、OB諸氏が参集のうえ、試合観戦を共にし勝って矢頭会長と喜びを共にしようとするところ…
2号線に面して、ダイエー明石店前に古くからK診療所がありました。平成6年ころは診療も辞めて固く閉ざされておりました。立地としては魚の棚通り近く、歩道橋が間じかに付いて店舗としてはまあまあの場所だ。 ひごろから、何にか利用先はないものかと考え…
前述したように、まるで朝・夜を取り違えたまったく不規則な生活を規則正しく過ごす。 その間のメモを見ると、ほとんど3人息子のことばかり。 三男高校卒業、長男就職(大阪勤務)、三男ロスへ、二男就職内定、長男東京転勤、長男婚約、二男就職(東京勤務…
速報 対大工大戦 2-0(2-0,0-0) 昨日は日がな嵐の一日。今日の天気が気にかかる。 一夜明けて天気はなんとか持ち直したが、いつ降り出すかわからない。その上かなりの強風だ。 3時15分KICKOFFに間に合うように出発。我が家からは第二神明…
ブラジルの居酒屋商売を終えた後、お袋が用意してくれている寸胴の湯が十分沸いていることを確かめ、さんよう喫茶での夜泣きラーメンを開けて夜明けまで頑張る。夜が白々明けるころ魚住に帰るという日常が当分続いた。平成3年10月7日スタートとメモしている…
今や本職となった不動産仲介でも当てはまることですが、どうも小さなことが苦手だ。 物事を大きく捉えその根本を突き止め流れを見極める。そうした動きがかなうようなとき、我が能力はその力を発揮出来てきたように思う。BGといい鍋ガーデンと言い、ジャスコ…
約20年にわたる、私のいけいけバブルは弾け、いまや撤退戦のまっ最中。 ジャスコ明石関連の店を閉めた際、太寺の家もビルオーナーにお願いして買い戻し条件付きで買い取ってもら い、そこそこの家賃で借家としていた。 家を売ったお金で、買い掛け金、借入金…
桜の花も散り終えて、八重も盛りを過ぎました。と同時に、浮かれた気持から我に帰って、あのバブルの後始末の10年を顧みる気になってきました。 3月11日いらいのテーマ「私の仕事館」です。 ジャスコ明石建て替え決定が昭和62年(1987年)12月…
「新国を開き候は積年の思ひ、一世の思ひ出」 これは龍馬が暗殺される9ヶ月前、長州藩士・印藤肇に宛てた手紙の一節です。 龍馬甲子園「龍馬ならどうする」をテーマに掲げようと考えながら、竜馬がゆく・狂瀾編を読み返す。 当時列強の開国圧力以上に脅威だ…
住職に話を聞いた。この寺は聖徳太子の命により高麗僧の恵便が開山。のち行基が中興した寺で播磨六山の一つで、姫路市内では最古の寺だそうです。はじめは法相宗だったが834年(承和元年)天台宗となり皇族、貴族、武士の信仰を集めた。平安時代に諸堂が…
神戸新聞の小さな記事が目に着いた。増位山からはるか眼下に姫路城が小さくかすんで見えている写真。 随巌寺という名刹参道からの風景とか。 書寫山圓教寺なら西国二十七番札所でもあり、近くはトム・クルーズのラストサムライのロケ地としても有名だ。それ…
小浜から熊川、朽木、大原経由で鯖街道として有名な道をたどる。といっても石坂から朽木へ立ち寄り、道を引き返して熊川、小浜へと出た。 である湖東を避けて、この朽木経由で帰京した。この時、領主であった朽木元綱は信長を助け、後に家臣にとりたてられて…
日経新聞の「私の履歴書」は皆さんもご愛読のことと思いますが、今連載中の近藤道生(こんどうみちたか)・博報堂最高顧問の回想中、昭和23-25年当時の徴税現場の状況が昔のある光景と重なって興味深かった。思わずそうだったんだと膝を打つほど。 氏は…
14日、15日と連日商談で西宮・神戸・姫路・大阪と走りまわり昨夜は8時過ぎに軽く休むつもりが、気が付けば翌朝7時となっておりました。 弾丸ツアーでもあまり疲れたようには思わないのに何故だろう。好きなことをするのと、交渉事の差ということでしょ…
大垣から根尾までの樽見鉄道。その途中に華厳寺への停車駅・谷汲山口があって、この駅舎を中心とっした一帯がこれまた結構な桜の園。ここの桜はもう散り初めを通り越して、華吹雪。 これを写真に残そうとするが、それは至難のこと。 現役を終えた樽見鉄道の…
根尾に着いたのが午前7時。我が法則で行くと、少なくとも夜明け頃には現地到着が望ましい。 案の定、駐車場はほぼ半分が埋まり、道中から早帰ってくる車とすれ違う。 樹齢1500年といえば538年日本に仏教伝来したころ。百済の聖明王の使者が欽明天皇…
香嵐渓の紅葉狩りの際、何せ朝いちばん、それも半端じゃない朝一番。即ち夜明け前に現地到着という極意を習得。これを桜にも応用しようと企んでいたところ、今回の高速道路1000円割引がいっそ拍車をかけることとなりました。願わくば桜の下に春死なんと…
龍馬甲子園と言ってはみたものの、いったい何をしたいのか、自分の考えが混乱を来してきました。 龍馬研究家の講演を聞く、討論会でパネラーの発言を聞いて何か違うだろうと感じる。なぜ俺は、私は龍馬さんに魅かれるのか考えてみる。ところで龍馬さんのこと…
アウグスブルグからシュッツトガルトへとアウトバーンをぶっ飛ばす。 といっても今グーグルアースで距離を検索してみるに68キロと出た。 案外とヨーロッパは狭いんだ。 機上では去りゆくドイツ、遥かなるフランス、そしてあのドーバーを渡る間、窓から眼下…
3月26日のブログ記事から久しぶりのアルプス縦走・ロマンチック街道北上記事となります。 ノイシュバンシュタイン城を後にしてむかったのがアウグスブルグの町。 もとはローマ帝国アウグストウスによって設けられた植民市。ローマ支配の拠点だった。 15…
さて野次馬よろしく地方高速道路1000円割引開始の号砲と同時に走り出してはみたものの、握るハンドルは そんなに軽くはなかった。大げさな言い方だろうが、つくづく国家権力の強大さとバカバカしさを象徴するかのようなこの2年限定の時限処置法の本当の…
おいしい海鮮料理を頂いたところで、あとは今日中、深夜12時前に中国道に入れば1000円割引セーフ。 今回明石から岩本寺が340キロ、観自在寺で553.2キロ、さかなの庭出発時で799.9キロPM9:25。 川内IC入りが9:35。坂出JCT通過10…
お遍路の苦労話、もちろん歩きと比べれば屁でもありませんが、今回の一番は45番・44番と逆参りした海岸寺への道順が、道路表示の不備から、とんでもない遠回りとなったことと、やっと着いた海岸寺の参道が半端じゃない階段数と険しさ。おまけに44番大…
肝心の八十八ヶ所巡礼を忘れてはいけない。 41番龍光寺と大師堂 42番仏木寺と大師堂 43番明石寺と大師堂 44番大宝寺と大師堂
今回の弾丸ツアーで初めて宇和島の町と大洲の町の位置関係を実感することが出来ました。宇和島と言えば藤堂高虎の治藩として土佐藩に隣接し、津野親忠自刃の際、家康にいち早く知らせ、長宗我部盛親が土佐一国を見事取り上げられるハメに陥ったことを思い浮…
太平洋の潮騒が眼下から聞こえてくる。ジョン万の銅像が眺める方向がきっとアメリカ・ニューヘブンに違いない。中の浜、中浜万次郎は15・6での漂流であったことから、日本語は土佐の漁師言葉しか話せず、逆に日本に帰ってからの侍言葉学習が大変だったと…
四万十町と四万十市が隣り合わせ。高知には龍馬と四万十しか売り物は無いのかな。おまけに町のほうが市より広いんじゃなかろうか。佐賀の港、大方の港を過ぎ、浮鞭(うきぶつ)海岸(ウミガメとサーフイン)を眺め黒潮鉄道に沿って南下するうちに四万十市。…