山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

2010-01-01から1ヶ月間の記事一覧

友遠方より立ち寄る・諭吉煎餅

うん十年のその昔。ふと立ち寄った明石駅前山陽横丁のカレースタンドでMMC缶詰カレーを食べたばかりにその後の人生を大いに、間違えた有野氏からTELあり。今日午後5時西明石で待つという。 何時もの、大阪出張の帰りかと思いながら、OKの返事をする。 飯を…

みなと神戸からの手紙・大森 尚 拝受

本文は龍馬ブログ http://ryomakobe.tosalog.com/ をご覧ください。 先日お邪魔して「龍馬もごもご」をお話しした県商七星会の大森氏より嬉しいお手紙を拝受。 その内容たるや、まことに詳細に渡り、深い知識と見識溢れる御手紙であります その上に、龍馬さ…

龍馬最後の帰郷⑦余談

何しろ個人的に気になるのは、中城家を後にして、「龍馬ハ小島ヘ、中島ハ津野ヘ」Iの下りであります。 まず、小島というのは、龍馬を慕っていたと言われる川島家の田鶴が嫁いでいる家です。 田鶴は、二人扶持、切米八石の御歩行小島亀次郎の息子玄吉に嫁い…

黒門市場・釜上げうどんー二葉

思い立ったが吉日は小生の営業エンジン。 ある物件の仲介業者を尋ねて大阪・日本橋へ走った。 開業間もない様子の事務所の雰囲気。若い女性2人が留守番で、社長以下営業マンは出払っていた。 突然の訪問をお詫びして、要件だけはしっかり伝えた。今回当方…

九水会・尾嶋俊雄先輩からのお手紙

手紙の大切さは今回の龍馬レターでつくづく再認識させられている。 そのさなか、淡水サッカー神戸高商(K)九回生・尾嶋俊雄先輩からのお便りを拝受しました。 『小生九水会の会員で目下九〇歳の老体になりヨボヨボしていますが、在校中にはサッカーで一生縣…

龍馬最後の帰郷⑥

22歳の若妻早苗の目に映った龍馬達の肖像は興味深い。彼女の記憶は四十年の歳月を隔てているのに鮮明である。早苗は懐妊中で、翌年(慶応四年)二月、男児を出産した。これがこの筆録を遺した直正である。 父上、サキ入リ、坂本、中島ガ未ダ湯ハ湧イテイル…

龍馬最後の帰郷⑤

「龍馬来宅」 『坂本龍馬 才谷梅太郎。母二十二ノ時、直正出生ノ前年来宅。(母妊娠5ヶ月ノ時)坂本ハ権平ノ弟二シテ郷士御用人本丁ニ住ス。才谷ハ色黒満面ヨミアザ(注=方言ソバカス、またアザ)アリ。総髪ニテ羽二重紋付羽織袴(白キ様ナル縞ノ小倉袴)…

高砂ぶらぶら

常々、不動産仲介が天職と申し上げている根拠の一つに、物件が呼んでいるという実感が有ります。 なにしろ、車を運転中も沿道の何やら淋しげな佇まいの土地・建物を見かけると、その土地・建物が十分活用されているかどうか、一瞬に判定できると思っている…

援軍続々

困りぬいている様子は皆さんにも判ってもらえたのか、今日は元高知新聞大阪支社の北川雄作記者から、友人の校長さんに学校ぐるみで龍馬レターに取り組みを頼んでみるきにとのTELを頂いた。まことに有難い。 早速くれぐれもよろしくとお願い書を認めて速達で…

龍馬最後の帰郷④

中城助蔵が「車輪船沖遠ク来而碇ヲ下ス。安芸船之由。」と『年々随筆』に記したが、よもやその船に龍馬が乗船しており、おまけにその夕刻種崎に上陸し、他ならぬ自分の家に忍んで来るとは思いもよらなかったにちがいない。 その詳しい状況は中城直正の『随…

高知新聞に本日手紙大募集記事掲載

高知新聞社会部冨尾記者から、かねてよりの手紙大募集記事を明日掲載するので、内容の最終確認をしたいとのTELあり。 誠に、待ちかねておりました。大阪支社の担当記者には県人会で会うたびに記事にしてよとお願いしておりましたが、なにやら気が乗らない様…

宅建研修会・収納王子コジマジック

年3回の宅建協会明石支部主催の研修会は会員として必ず受ける義務があります。それにこの40周年を寿ぐ支部新年会をコロッと忘れて欠席してしまったお詫びと会費支払いをしなければならない。 昨日明石産業交流会館での研修会。どうも何時もとは様子が違った…

静岡から手紙来着・木村裕太さん

久しぶりの手紙到来。まるで自分に貰ったように嬉しいのは何故だろうか。 さっそく開封。はるばる静岡市から、今年新聞記者として社会人デビユーする木村裕太さん。 彼は小学6年からの龍馬フアンで、まずは形から入って行ったとのこと。大きな音で放庇、と…

だいにんぐれすとらん・えるみたーじゅ②

加古川・神野辺りをブラブラ。注文に相応しい土地が無いものか探し回る。 一説によると、今回の加古川南北道路はあくまでも県立加古川医療センターまでの開通・供用が目的で、それから北への伸延の目途は立っていないとか。 今日の神戸新聞にも報じられてい…

手紙を求めて行脚一筋

県商七星会の例会にお邪魔した。それもこれも、シニアー世代の龍馬レターを頂きたい一心だ。 前回呼ばれて龍馬さんを語ったことが、今回の龍馬さんへの手紙企画に動機となった。 お話のテーマを聞かれて「龍馬こもごも」と申し上げていたが、結果は「龍馬も…

加古川・神野 だいにんぐれすとらん・えるみたーじゅ①

今日は久しぶりに物件探しに出かける。 南二見2000坪工場用地はお目当ての倉庫2500坪が少し前まで閉鎖中だったのが、業務再開で活気を取り戻している。こうなると当方には無用だ。 もう一件は加古川中央に配送倉庫用地500-600坪。それも調整地域で探せと…

龍馬最後の帰郷③鬼の袂(たもと)石

土佐藩船手方、大廻船御船頭であった中城助蔵(直守)の手記「年々随筆」に 「九月二十五日(ママ)早朝、車輪船沖遠ク来而碇ヲ下ス。 午時ニあこめ渡合二入面碇泊。安芸船之由。」と記す。彼自身まさかこの船に龍馬が乗っていようとは夢にも思わなかったろ…

龍馬最後の帰郷②土佐藩の状況

龍馬が帰国した際、仕置役 後藤象二郎は京都へ行っていて留守だった。 武力討幕論の大目付、乾退助(のち板垣)はその過激論のゆえ容堂によって軍政の責任者から一時下ろされていた。のちに板垣が自由民権運動を起こす兆しは欠片もない。 家老や中老、重役…

三人の二代目③

この地に在った、魚住城(魚住古城)は南北朝の文和年間(1352-56)赤松則祐に従った赤松一族の魚住(太夫判官)長範が住吉神社の社領魚住荘の領主として魚住町中尾の瑞雲寺ー住吉神社付近に居館を構えたのが始まりと云われ、応仁の乱には赤松正則に…

鎮魂 阪神淡路大震災

平成阪神7年1月15日深夜、神戸北野坂を下っていて、一旦停止を怠った。途端にサイレンが鳴り、その車停まりなさいとの声が聞こえる。見ると、その交差点の右角にパトカーが止まっていた。 またやったかと、すごすご車を止めて免許書を取り出す。なにせUター…

津市立栗真小学校から21通の手紙届く

サンケイ新聞半紙の手紙募集広告の反響は今のところゼロ。 神戸新聞の大月記者に再度の取り上げを頼みこんだり、県商OB会に何か龍馬さんのことを喋れと言われれば喜んで出向き、その目的は手紙を寄稿してもらうこと。 なんとか、我が切ない思いを広げたいと…

YAMASAKI天狗寄稿・夢龍馬は生きていた

神戸の高齢土佐人を自称するYAMASAKI天狗様から仮説・龍馬は生きていたの寄稿がありました。 龍馬フアンの皆様も納得の検証を一読されたし。 一般的には龍馬は1967年11月15日京都近江屋で京都見回組佐々木唯三郎に殺害されたことになっているが、実…

三人の二代目②

宇喜多直家の毛利から織田への寝返りを受けて、領地安堵の許しを信長に得るべく安土へ向かった秀吉は、信長の「宇喜直家の如き薄汚い者を許すわけにはいかぬ」と一蹴される。 備前美作50万石の所領を持ち、三十の城と1万5千の兵を持つ直家の帰趨がその…

三人の二代目・堺屋太一①

神戸新聞ほか多数の地方紙に連載された『親鸞』に引き続き、堺屋太一の『3人の二代目』を愛読中だ。 堺屋の歴史観に基づいて、戦国信長ー秀吉の時代を生き抜く3人の二代目(毛利輝元・上杉景勝・宇喜多秀家)の生きざまを活写していて、知られなかった事…

2010 謹賀新年 初蹴り

恒例の新春初蹴りが寒風吹く県大グランドで行われた。 不思議とこの初蹴りには必ず顔を出すOBもいて、豚汁が余程魅力なのかな。 小生は、孫の相手に3ヶ日は身動き取れず欠席。 土肥監督、的場会長他、年次の若い連中から、G51小林、松梨(兄貴の蟹民宿は…

龍馬最後の帰郷①安芸船震天丸

オランダ商人ハットマンからライフル銃1300挺を買った慶応3年9月14日、安芸船震天丸を傭船して18日長崎を出航、20日下関に寄港、伊藤俊輔と面談。その日のうちに土佐へ向かった。震天丸にはライフル1000挺が積み込んであった。300挺は伊達小次郎…

インフレ到来必至

その昔、皇国の勝利を信じてお国のための一心でせっせと買いこんだ戦時国債が敗戦でパーになった。 そのパターンは今も変わらず、お国なら永遠に安泰と思い込んで、懲りもせずにせっせと国債を買いだめている皆さん。いまさら遅きに失してはいるが、この国…

サンケイ半面広告掲載日・高知新聞社会部記者からの電話

さても、龍馬さんの話ばかりで御免なさい。今日10日はサンケイ押しつけ半面広告記載日。 魚住駅の売店に走って3部買い求める。 確かにありました。新聞半面下段ながらなかなかの迫力だ。なんとか反響が有ってくれればいいんだが。 夕方、6時30分から…

西宮戎・有難かった・旨かった・叱られた

去年、初めて柳原から西宮本戎さんにお参りを変更した。 9日宵戎に参り、有馬温泉の奇麗どころによるお湯掛け神事を拝観したり、帰り道ついつい名谷から左にハンドルを切って、明石大橋・鳴門・徳島とぶっ飛ばし、目指す恵比寿丸で海鮮を堪能。おまけに帰り…

淡路・富島福寿しの親父

あれは何時頃だったか、私がまだ明石駅前2号線交差点の北西かどの藤田ビル2階てんぷらマルイチでてんぷらを揚げていた頃、たぶん昭和45-46年ころか。カウンターに座った厳つい親父、それも左耳を覆う耳帯をしていて、盛大にてんぷらを口に運ぶ。話の中で、…