山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

新幹線大阪ー岡山間開通・西明石駅ファンファーレ

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今日の神戸新聞明石版の話題は新幹線0系のラストランだ。0系新幹線定期運転終了の最後の雄姿を一目見ようと、新幹線西明石駅のプラっトフォームは人が溢れた。
このごろは何でもかんでも引っかかっては話題にする癖があります。しかし、西明石・新幹線となれば、ただの話題ではすみません。
念願の大阪ー岡山間が開通したのが昭和47年(1972年)3月15日。
実はこの日の直前、昭和46年結成したばかりの明石吹奏楽団山手団長から緊急の電話が入った。「西明石駅での新幹線開通セレモニーでファンファーレを吹いてくれ。」
全く突然の要請、確か平日であったため、社会人は勿論高校生も頼めず、中学生有志を3人やっと確保したとのこと。ペット2人とトロンボーン1人。大西慶一郎、橘某、大江健司の3人だけ。おまけにファンファーレも作ってくれと来た。
前夜、簡単で吹きやすく、なおかつ聴き映えがするファンファーレをこねあげて、早朝西明石に駆け付ける。
簡単に音合わせをする間もなく、下り一番列車が到着するとのこと。
人人であふれるホームをセレモニーの場所へと移動。ただでさえ小柄な中学生をひきつれて、なんとか一団でいることが難しい。新幹線、今から思えばあれが0系の到着と同時に、か細いファンファーレが鳴り響く。
花束の贈呈やら、メッセージやらてんやわんやのうち、早発車ベルが鳴る。いそいで同じファンファーレを吹くのだがもう電車の発車音にかき消されて、自分でも聞き取れなかった。そしてもうまもなく、上りの一番列車到着だ。ああ36年前、いったいあのファンファーレはどうだったんでしょうね。この時のトロンボーン大江健司は今や大阪音楽団の一番トロンボーン。大西慶一郎は同志社大有機化学研究室の主軸となって活躍中。一方わたしは明日、がんセンター・井上ドクターに手術のお願いに出向く予定。年明け施術ということか。