山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

龍馬最後の帰郷④

 中城助蔵が「車輪船沖遠ク来而碇ヲ下ス。安芸船之由。」と『年々随筆』に記したが、よもやその船に龍馬が乗船しており、おまけにその夕刻種崎に上陸し、他ならぬ自分の家に忍んで来るとは思いもよらなかったにちがいない。
その詳しい状況は中城直正の『随聞随録』の『龍馬来宅』に記されている。
この覚書は罫紙三十三枚に書かれたもので、表紙に「明治四十年十二月初旬」とあり、安政地震津波の状況をはじめ、幕末の詳細な事物の聞き書、調査が記録されている。筆者の直正は助蔵(直守)の長男亀太郎(直楯)の長男で慶応四年生まれで所第高知県立図書館長を勤めた歴史家だ。
龍馬来宅は直正が父直楯と母早苗から聞き取った話を控えたものだが、特に龍馬達の衣服や言動などは早苗の優れた記憶力を再現したもので、女性でなくては観察できない趣があり、龍馬風貌をこれほど鮮やかに描いた文章は他にないように思われる。

山田一郎 坂本龍馬ー隠された肖像ーより)