山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

吉田前会長・会長時代回顧

学校統合あるも「伝統」は続く


 私が淡水サッカ−クラブ会長に就任したのは1997年6月。オムロン東京から京都本社に転勤したタイミングで前会長の津野さんから引き継ぎました。「俺も5年間やったから頼むでえ」「はい」と言った感じでした。
 それから(故)矢頭さんにバトンタッチする2008年7月の総会まで11年間会長を務めました。その6年間は京都、5年間は横浜からでした。

 この間の最大の問題は2004年の「学校統合」。それに、関連して関西学生サッカ−リ−グ登録をどうするか、でした。さいわい姫路工大とも合意をとることが出来て「兵庫県立大学神戸」としてのリ−グ登録が認められました。「神戸商大から兵庫県立大神戸へ」と「伝統のバト ン」を繋ぐことが出来ました。「兵庫県立大に入学して、卒業する」はじめての年代が2007年増澤主将時代でした。
 

 もうひとつ大きな問題として1999年に「淡水サッカ−クラブ基金の取り崩し」をOB総会で決議しました。これは津野前会長からの引き継ぎ事項でもありました。
 当初1000万円基金をOBから集め、その利息でもって現役支援を行う、という素晴らしい基金の趣旨でしたが、その後の経済環境変化のなかでゼロ金利となり目的が実現できず500万円強で完全停滞していたものを皆さんの同意を得て「取り崩し」会計に繰り入れ淡水サッカ−クラブの活動資金としました。

 当時のリ−グ戦は春・秋と年2回方式で、1部10校、2部10校、3部4ブロック制から1部12校2部2ブロック制各10校、3部3ブロック制に変わっていく時期でした。また2008年からは春・秋を合計した年間方式に変わりました。
 監督は引き続き「土肥先生」がみておられます。
 新興大学が増えててリ−グ登録大学数が増えたこと、姫路独協大や神戸国際大など新興大学でサッカ−に力を入れる大学が目立ってきた時期でした。

 1998年 鈴木主将(4回生9人) 前期 位  後期 位 入替戦
 1999年 小松主将(4回生4人) 前期2位 入替戦2部昇格 後期3部降格
 2000年 松原主将(4回生6人) 前期 位  後期 位
 2001年 西口主将(4回生6人) 前期 位  後期 位
 2002年 石田主将(4回生2人) 前期3位  後期1位 入替戦2部昇格
 2003年 志智主将(4回生6人) 前期2部7位 後期10位3部降格
 2004年 多鹿主将/立花主将(4回生1人)
 2005年 立花主将(4回生3人) 前期3位  後期2位 入替戦 敗戦
 2006年 豊永主将(4回生7人) 前期
 2007年 増澤主将(4回生6人) 前期5位  後
 2008年 戸田主将(4回生5人) 年間5位 (前期5位  後期1位)*
                      *この年より年間方式に移行

 入替戦進出は4回、そのうち2部昇格を果たしたのが2回、特筆すべきは2003年志智主将時代 前期2部7位をキ−プしました。
 その翌年主将が前期終了後 退部(同時にほかの4回生も)というトラブルが発生して立花主将が2年間やるということになりました。

 このころから現役部員のなかで自分の将来のために3回生または4回生でサッカ−部を退部して研修する、留学するなどのケ−スが出てきました。そのような背景もあり増澤主将からの要請もあり淡水サッカ−クラブ若手OBを講師として全部員を対象とした「就職勉強会」をはじめ今年で3回目となりました。現役支援のユニ−クな実践取り組み活動となってきています。

 関東では、いつ頃からスタ−トしたのか思い出せないのですが恒例になった「関東地区OB交流会」もOB総会の終わった8月開催で毎年定着して大勢のOBが集まっています。これには現役主将、マネ−ジャ−が必ず出席しています。

 それでは各年代の主将を中心に現役時代を回顧してもらいます。