山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

福岡考弟③

暗殺の当日、午後3時頃龍馬が福岡の下宿にやってきます。今夜うちに来ないか、軍鶏鍋をやるきと誘ったことでしょう。しかし、留守番のおかよ(のち福岡の妻)は居ないと言って断ります。もしかしたら居留守を決め込んでいたかも。
しばらくして、龍馬が再びやってきます。余程福岡に来てほしかったようで、何事か重要な相談事があったのか。おかよにも「福岡の帰りが遅くなるようだからうちに来なさい」と誘っているぐらいです。
とにかく、この日、龍馬はいろんな人を呼びたがっています。
そして、其の晩に龍馬は殺されてしまった。龍馬の誘いを断り近江屋の2階に行かなかった人々は皆胸を撫で下りしたことでしょう。
特に、福岡は龍馬が危ないと言う事を肌で察知していて、龍馬と一緒にいてトバッチリを受けることを恐れたた節があります。
それが証拠に福岡はこの前後家を出て、遊里に身を隠していました。
おまけに、福岡は龍馬の葬式にも行きませんでした。なお危険を感じていたからでしょう。それ程臆病な人物だったのです。
そのことを同じ土佐藩田中光顕は死ぬまで詰りました。「どうにもわからん、あいつの事はどうにもわからん」と。
龍馬襲撃さるの報を聞いて真っ先に駆けつけた田中にすれば,あれほど共に奔走した仲間の葬式に顔を出さない福岡が許せなかった。