山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

忘れがたいバースデイの出来事・ケネデイ暗殺事件

思いがけず多数のバースデイメッセージを頂いて喜んでるうちに、さて私はどんな時代に生まれたのかと指を繰ってみる。
昭和16年11月22日。時代はまさに日米交渉がデッドロックに乗り上げ国民は成り行きを固唾を飲んで見守っている最中。第1子として生まれた私は、長い出産がたたって殆ど仮死状態で生まれたとか。
産声を上げるまで当分先生がお尻をひっぱたくやら、水を掛けるやら、大変だったらしい。そしてか細い産声だった。
後に勤労感謝の日が23日となるわけだが、ほんと勤労感謝して貰わないとが、母親の口癖だった。そんな乳呑児を抱えたとたんの日米開戦・真珠湾攻撃が12月8日となれば、両親はどんな心地で過ごしていたんだろうか。
出生地の西新町は川崎航空機工場の近辺。その後度々の空襲を受けて私が4歳頃には上津橋の農家の納屋へ疎開している。幼心に遥か南の空が真っ赤に燃え上っている光景を多分見たに違いない。
まあ、両親はよくぞあの乱世の中、育て上げてくれたものよと今さら感謝。
それともうひつの忘れがたいバースデイの出来事がケネデイ暗殺事件だ。
正に、昭和38年(1963年)、恥ずかしながら二年遅れの神戸商大1年生の誕生日。
米国中央時で11月22日正午12:30 テキサス州ダラスでケネデイ大統領が凶弾に倒れた。
その切迫した知らせは、丁度その日行われた初の日米衛星中継の電波に乗ってリアルタイムに特報された。
ラジオが報じる暗殺の知らせに、たぶん深夜、これから世界はどうなって行くのだろうとの思いが過ぎり、まんじりともせず夜を明かした思い出があります。