山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

魂・俺は何故俺なのか?永遠の課題

日経連載中の私の履歴書利根川進を愛読中。
この私の履歴書に載るのが日本人としての名誉・誇りだとか。
毎回いろいろな御仁が幼少の砌から書いておられるが、スクラップにまでしようと思う方になかなかお目に罹れない。
そのなかで、利根川博士のそれは、ノーベル賞授賞という金看板に隠れた博士の本質が垣間見えて面白い。
特に23回の後半、突如として人間の心についての言及が始まった。
分子生物学者の口から人間の心という言葉を聴くことそのものが驚きだ。
人間の心の研究が非常に遅れているとの認識を示し、その方向として17世紀のフランス人哲学者ルネ・デカルトとDNAの二重螺旋構造の解明でノーベル賞を受賞したフランシス・クリック博士の説を取り上げている。
即ち、心と体は別物であり、脳を含めた体全体を研究しても、心あるいは魂というものは解明できないという「二元論」と、『あなた自身、その喜びも悲しみも、記憶も大志も、自己のアイデンテイテイーも自由意思も、実は、膨大な神経細胞群とそれに関連する分子の、反応の結果に他ならない』とする「一元論」の2WAYであります。
論博士は一元論の考えで、脳機能の解明ひいては「人間とは何か」の解明を目指しての研究をノーベル賞受賞後の1980年代から開始。その最初として「学習と記憶」解明に的を絞る方向性を明示されてます。
私としては、分子生物学分野での心・魂の解明が進むとすれば、なお一つ欠けている課題にも是非挑んでもらいた。
それは、何故俺は俺なんだという永遠の疑問であります。個の集合が全と言いながら、何故個認識がそれぞれなのか。俺は君ではなくて、君は何故君なのか。
上手くは言えないけれど、悠久の時の流れの中で、今生きている自分が有ることの根源が知りたいわけだ。