この地に在った、魚住城(魚住古城)は南北朝の文和年間(1352-56)赤松則祐に従った赤松一族の魚住(太夫判官)長範が住吉神社の社領魚住荘の領主として魚住町中尾の瑞雲寺ー住吉神社付近に居館を構えたのが始まりと云われ、応仁の乱には赤松正則に…
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