山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

文学散歩

三人の二代目③

この地に在った、魚住城(魚住古城)は南北朝の文和年間(1352-56)赤松則祐に従った赤松一族の魚住(太夫判官)長範が住吉神社の社領魚住荘の領主として魚住町中尾の瑞雲寺ー住吉神社付近に居館を構えたのが始まりと云われ、応仁の乱には赤松正則に…

三人の二代目②

宇喜多直家の毛利から織田への寝返りを受けて、領地安堵の許しを信長に得るべく安土へ向かった秀吉は、信長の「宇喜直家の如き薄汚い者を許すわけにはいかぬ」と一蹴される。 備前美作50万石の所領を持ち、三十の城と1万5千の兵を持つ直家の帰趨がその…

三人の二代目・堺屋太一①

神戸新聞ほか多数の地方紙に連載された『親鸞』に引き続き、堺屋太一の『3人の二代目』を愛読中だ。 堺屋の歴史観に基づいて、戦国信長ー秀吉の時代を生き抜く3人の二代目(毛利輝元・上杉景勝・宇喜多秀家)の生きざまを活写していて、知られなかった事…

三島由紀夫・加古川・塩田晋

2009.6.30のブログ「さくらんぼうと玉の緒地蔵」で意外な場所で三島由紀夫慰霊の碑を見つけたと記載している。あの市谷駐屯地に殴りこんで割腹自殺して果てた三島由紀夫が、意外や意外、加古川の志方出身であることは、ほんまかいなと念を押したほ…

塩田晋座談より

日本のケネデイを目指されておられた淡水OB・塩田晋元衆議院議員(高商16回)の座談を淡水第50号記念号(平成16年)で拝読。 昭和51年ー61年先生の選挙区が3区明石・加古川の当時、高木学長の号令の下、淡水会明石支部はほとんど塩田晋選挙対策本部と化…

安部龍太郎を読む②

ちなみに、恵林寺の開山は夢窓疎石で、絶海中津は貞和4年・正平3年(1348年)に上洛して天竜寺に入った。観応元年・正平5年(1350年)に剃髪し、翌年に師匠である夢窓疎石が死去するまで、その側近として常に侍った。絶海は夢窓疎石の死後の応安元年・正平23…

安部龍太郎を読む①

今、安部龍太郎が面白い。勿論その取り上げるジャンルにまず興味があり、書き様が好みであります。司馬遼太郎の本題はさておきと横道にそれて薀蓄を語るのも面白いし、津本陽のように歴史の教科書を読んでいるような生硬さも捨てがたいが、今安部龍太郎には…