山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

第22回明石市小学生駅伝大会



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25年前・1982年(昭和52年) アンサンブルコンテスト開催と同時に始めたのが明石市小学生駅伝でした。明石陸上競技場と明石公園を会場・コースとして2kと1.6kの2コースを周回し、6名のメンバーがタスキを繋ぐという設定でした。明石陸上連盟の柴田先生・吉井先生には特にお世話になり、確か駅伝のみで参加者も200名前後ではなかったか。当時はSB食品の瀬古選手全盛時代でマラソンは大変な人気競技の一つ。その当時の参加者から報徳・順天堂大へと進み高校駅伝箱根駅伝で大活躍した村松君。オリンピック・バルセロナ大会に女子マラソンで出場した小鴨君を輩出しかげながら喜んでいたものです。・・・今回ひとまる倶楽部参加を機に15年ぶりの大会参加となりました。会場は15年前とまったく変わらぬものでしたが、参加者が1,300人を越す規模にまで拡大成長していることに驚き、にもかかわらずテキパキとした競技運営にまたまた感服。競技も駅伝に加えて、各学年男女別タイムトライアルもあり、これには3年せいから参加可能。時あたかも去年大久保中・女子が中学生駅伝全国大会にて準優勝したからたまらない。とくに大久保・大久保南小からのエントリーが急増して、去年の1,000人を超すこと300人となったとか。地域の皆さんに支持された企画はここまで盛り上がるとは。金田名誉会長に「これじゃあ止めるわけにはいきませねえ。」と顔を見合わせて納得した次第。あと10年はお手伝いすることを誓ったことでした。