2008-07-16から1日間の記事一覧
かくして始まったはずの小学校生活。特に低学年の1・2年時代については殆ど記憶が飛んでしまっている。毎日早起きして登校していた筈が、いつも、明石神社の西、学校が見下ろせる、くの字坂に差し掛かると、すでに校庭では朝のラジオ体操が始まっていまし…
25年前・1982年(昭和52年) アンサンブルコンテスト開催と同時に始めたのが明石市小学生駅伝でした。明石陸上競技場と明石公園を会場・コースとして2kと1.6kの2コースを周回し、6名のメンバーがタスキを繋ぐという設定でした。明石陸上連盟の柴田先生・吉井先…
店内といってもカウンター9席の一人の職人が心を込めて握るにちょうどの構え。 店主のA君が私の顔を見るなり、思わずノケゾル格好でご挨拶。もう子供が大学生になるとは思えない昔どうりの童顔で迎えてくれました。 いまから30年前、明石小学校・5-6年生を相手…
先生は昭和24.11.30から昭和43.3.31まで教鞭をとられた。戦後学校制度が再編成される激動の時代、新制大学としての神戸商科大学に赴任されたわけだ。担当講義はドイツ語と教養・倫理学でありましたが、今思えば、そのどれもが先生には苦痛そ…
戦争中は、油の一滴は血の一滴と叫ばれ、一億総玉砕と信じ込んでいた人々も、さて終戦の玉音放送を聞いて、ハッと我に帰った。向こう3軒両隣りの箍が外れて、まさに戦後の上を下への混乱戦争開始となりました。上津橋から、元の四郎兄宅に転がり込むべく、…