山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

年賀状に見る家族の肖像②昭和61.62

d47849ba.jpgdf1feed5.jpg















 

 




左が昭和61年で右が昭和62年。いずれもジャスコ明石8階の GOODTIME CIRCUSの MUSICレストラン・ボサリオの店内外での集合写真。
まだ、あどけない表情で写っている。
昭和59年1月5日に親父を亡くして、私達が世間の荒波に初めて遭遇して満2年。それまで如何に親父の信用と信頼のお陰を被っていたのか、痛いほど実感している最中。厳しい経営を強いられて、頭の中は明日の資金繰りばかりが、渦巻いておりました。
保障協会の枠は追認の500万もすでに使っているし、株式会社ブラジルと有限会社マルイチのどちらもまだ裏がやすには、返済が進んでいないとか、借入金一覧表を前にして、青息吐息の毎日。ほんと金の苦労ほどいやなものはありません。親父の胃がんも資金繰りの苦労が進行をはやめたのか。
常に頭の隅にその思いがあり、心から物事を楽しめない日々。
その割には、そのころの写真に写っている顔付きは、そうみじめさを感じさせない。その後、それこそ、たばこ代
ジュース代に困るほどどん底を経験することになった時も、私の一見不敵な・ずうずうしそうな風貌が災いしてか、誰も助けてやろうとの声をかけてはくれない。後にそのころの窮状を話しても、そこまでとは夢にも思わなかったとの返事ばかり。ただタバコを止められたのが一番の成果か。貧乏は身体に宜しいようで。