山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

年賀状に見る家族の肖像④

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平成2年の賀状につかっているのは前年の夏、ライオンズクラブのYE(YOUTH EXCHANGE)事業のホストファミリーを引きうけた際のロビンの送別会風景の一場面。状勢としては交換学生を40日間も受け入れる余裕などあるわけがない中、長男が1986(昭和61年)6月に先行してネブラスカに40日間交換学生としてお世話になっていた御返しとして、どうしても受け入れなければならなかった。みての通り、私が望んでいたプリテイなガールとは違って、でっかいお尻の男の子みたいなロビンはある意味気を使わずに付き合え、それはそれでよかったんだ。この40日の間、弘子ちゃんはつきっきりで世話を焼いた。明石市長への表敬訪問から、盆踊りの着物の用意まで。伊丹へ見送りにゆくころは本当別れがたいほど、お互いに気持が通じていた。
この年、次男が早稲田政経へ進学。三男も白稜中から高へ進級。
平成3年の写真は、我が家の運命が大きく変わったことを示している。前年平成2年の5月に太寺の家を売り払い、魚住の地へ、夜逃げとまでいかないが、昼逃げぐらいの厳しさで引っ越しした直後のもの。
三男の様子がかなりヤンキー風になってくるのは、平成4年(下)の写真を見ればお分かりでしょう。

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平成4年長男 鴻池運輸に就職。
同年、4月三男ロスアンジェルスへ、留学の下調べに。長男同行。
同年8月三男ロスへ。とりあえず英語学校に通って語学力養成の必要あり。