山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

年賀状に見る家族の肖像⑨

f97383f2.jpg
平成一七年は二人の孫を授かった。八月五日に長男の第二子・男児、そして10月12日には次男に待望の第1子・男児が生まれた。
この次男の第1子出産が思いのほか難産で、産気づいたとの知らせで、里の富山へ向けて名神北陸道をぶっ飛ばすうち、なかなか出産との知らせが入らない。出産初期に、最初の産院から富山中央病院へ産院の院長自ら搬送・転院するという知らせもあって、かなりな難産であることが予想できた。北陸道永平寺の結構が左手はるかに見えるころが、あとから聞いてみるに、山だったとか。津野氏の菩提寺・元亨院の総本山である永平寺さんに向かって、出産の無事を繰り返し、繰り返し二人してお祈りを続けた。
やっと無事出産とのメールが届いて、尼御前のSAに滑り込み、流れる嬉し涙を拭き合った。
もしろん後日、永平寺さんにお礼まいりに参じたことは言うまでもない。翌年4月26日のこと。
それにしても、4人の息子に、3人の孫が全員男の子。ほんと女の子にはご縁がありません。
いまや女の子の孫の誕生を内心願っておりますが、これだけは授かりもので、コウノトリの御意に任せる他ありません。