山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

ダイエーとの因縁

創業さんよう喫茶が地下の狭苦しいエレベーターピットの底が飛び出した猫の額ほどのところに押し込められたのは、ダイエーが明石店を開くため、それまでの古い映画館を建て直したためだ。
明石に初めての本格スーパー誕生とあって、1966(昭和41年)10月28日の開店の日には、人並みが大明石町一帯に溢れかえった。今ジュンク堂書店が路面で営業している明神ビルがそれだ。
狭い上に、ど真ん中にエレベーターピットの底が天井から突き出てる、そんな場所に押し込められた親父は一計を案じて、親しかった設計士と施工の明石土建に無理やり当初計画に無かった地下2階まで掘り下げて、巧みに営業面積を拡げてしまって。最終ビル側も了承することになったんだろうが、喫茶開店の時まで極秘の工事だった筈。もちろんその掘り下げに拘る費用はこちらの負担。この時の貸しを返してもらうのは33年後のことになる。
2005(平成17年)8月31日にダイエーが撤退してから、3棟に増えていたダイエーテナント店舗のうち、両端のビルが明宝興業所有で、真ん中が今言う明神ビル。運命は分かれて、明神ビルは築43年ながらほぼ満タンにテナントで詰まっている。一方1974(昭和49年)ブラジルを移転開店したダイエー東館と言っていた第二明宝ビルは船井総研からデイべロッパー兼北へと転売されてしまった。西館といっていた明宝ビルもこの12月16日期限の競売に掛けられていたが、任意での取り下げになったのか、入札が無かったのか、入札結果一覧には出ていない。。しかし、先日ビル屋上にレリファ(株)の名前の垂れ幕でテナント募集しているところをみると、兼北あるいは船井総研に渡ってしまったようにも思える。・・かって絶対的存在であった明宝ビルが人手に渡ってしまうとは、栄枯盛衰のことわりを目前に見るようで感慨一入。
先に結論・結果を言ってしまったが、24年間に及ぶダイエー明石東館地下飲食街での喫茶リオ・ブラジルへの移転・開業作業の一切を親父は私に任せてくれた。