山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

前立腺術後検査とお師匠さん

昨日18日は前立腺がんの根治を期しての全摘出手術退院後2回目の定期検診日だった。
退院後一月目ではPSA0.02 今回4月目でPSA0.01と出た。
井上先生はまあ順調な回復ですと診断された。心配の向きはむしろまだ尿漏れがあるとの私の報告の方。
 久しぶりの病院は相変わらず患者さんで混雑している。私の診療も1:00-1:30の時間帯となっていたが終わったのは3:00近かった。
診察室の前に2時間余り座っていると色んな風景が見えてくる。手にバスタオルを握りしめて隣室の検査室へ入っていく老人はたぶん生検組。これが大変だったんだ。思わず頑張ってと声なき声をかける。
診察室に入ってもなかなか出てこない人、すぐ出てきて笑顔を見せる人、家族。悲喜交々の風景は相変わらずだが、そのなかに私の不動産業の手習をしてくれた師匠の顔がありました。
Hさんは長年明石駅前で不動産屋の看板を挙げてこの道のベテランもいいところ。
10歳年上で、明石人丸ライオンズクラブで御一緒した。
当時ライオンズの事務局に勤めていた20歳も年下の事務の女性と突然結婚をやらかした時にはひっくり返るほど驚かされた。
そのHさんと手掛けたのが西明石駅前・2号線沿の700坪ほどのバブル物件仲介だ。
Hさんはバブルに飲み込まれて早々と店を閉めざるを得なくなり、パチンコ店の景品関連の仕事をしていたのが逆に幸いして、このバブル物件の西隣のパチンコ店に渡りをつけ、買い見込を段取りしてくれました。
その取引の中で、ちょうどこの土地の前に設けられていたバスの停留所を動かせとなって、移転先の地先地主に了解を取るという難行をいとも簡単にやっつけてしまった。
このときの取引額が5億。したがって買いの手数料の半分も半端じゃなかった。
この道しか起死回生の道は無いと私に確信させてくれた節目の取引がこれだったんだ。
というわけで秘かに不動産業の師匠の一人と敬愛していた御仁が同じ前立腺がんで治療の真っ最中とか。
付添いのかの若い嫁さんが、ほがらかにもうかなり進んでいるのなどと言い放つ。
意外とこの二人はその後の御苦労もものともせず仲良く暮らしているんだと感じて一安心。
H師匠は事の深刻さがわかっているのか、いないのか。 3-4の間らしいわとつぶやく。腎臓に移転もしている。
H師匠には長年かけてコツコツ手を打っている池案件があって、そのことで前にも協力を求められたりしていたのだが、昨日も かなりことは進んでいるからこれを機会によろしく頼むなどと言われれば、堪らずデッカイ仕事をしましょうぜと両の手を握りしめて元気づけるしか考えつかなかった。
かくも軽快に病根治となった身の幸運を喜ぶべし。