山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

神戸商大卒論発見①新しい経営原理の研究

 昭和40年11月22日自身の誕生日が関西学生リーグ2部最終戦VS大阪府大だった。
これに敗れれば、2部最下位となり、3部との入れ替え戦が待っている。
死んでもそれだけは避けなけえばならない。
そんな試合を同志社グランドで迎えた。前日には心配して駆けつけてくれた前年の主将・好漢松本靖弘によるフォーメイションの再確認とパス回しのスピードUPの助言を受けた。
結果、3-0で完勝して、グランドに二度とサッカーはしまいぞとシュウズを放り投げて帰ったその日からもう一つの難題が待っていた。
卒業論文の提出期限が1ヶ月後に迫っていたのです。
3部落ちは免れたが、学内浪人をしている暇はない。遅まきながら、入江商店への就職もきまっていることだし。
そんな状況で、必死に書き上げた卒論。確か提出受付時間を少々過ぎていたとかで、担任教授栗田先生が無理やり受付を承認させたとの後日談も聞いた。

今日、弘子ちゃんが、整理をしているとこんなん出てきましたと一束のコピーを差し出した。
なんだろうと見ると、これがあの卒論の要旨部分をコピーしたものだった。
テーマは「新しい経営原理の探求」という大上段にかざしたものながら、担当教授の面接では、なにが言いたいかよく分からないが、一生縣命書いたことは認めるとかろうじて及第点を頂いた。
そんな経緯だけは覚えているが、その内容といえばほぼ忘れてしまっていた。
あらためて目次から見直すと、これが意外と深い。たぶん1章から5章までは、参考文献の良いとこどり、丸写しだろうけれど、検討事項はかなり的確に研究範囲を示している。
そして肝心の結論を示す6章だけは確り自分自身の手で書いた覚えがあります。