山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

時間がない

 今日も65歳の知人の訃報が入る。あまりにも若い。
きっと、思い残すことが多かったに違いない。
実は私もこの22日で68歳となりました。
謂わば老残の身であります。ときどき道を歩いていて大通りのビルのガラスに映る自分を他人のように見つめていることがある。「向こうから変な親父が来よったで。」
思えば親父が逝ったのが69歳早々。親父とは同じ生まれつき11月だから、あと1年と2ヶ月で目をつぶることになるわけだ。
これは如何しても同調するわけには行かない。
やり残したことが有るのかと問われれば、さて何があるだろうか。
もちろん、一篇のメルヘンを作詞し、何時までも人々に忘れられないエバーグリーンなバラードを一曲作曲出来れば申し分ないのだが、これの実現はほぼ不可能。
あとは自分が何かをやることが大事ではなく、周りの人々、ファミリーはもとより知人友人先輩後輩が懸案の何かをやり遂げる様を見届けることが喜びとなってくる。
たとえば、今回の淡水サッカー2部復帰にしても、自分としては何もしてやることなど出来はしないが、ハラハラドキドキ見守って良い結果を待つという役割を果たすことで現役の喜びを共に喜ぶことが出来るような気がする。
昨日から、紅葉狩りに走っているのも、自分で出来るうちに出来ることはやっておこうとの思いからだ。
あと5年もすれば自動車の免許も取り上げられることだろうし。
殿村先輩の口癖「俺には時間が無いんや。」が身に染みてくる理由。