山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

龍馬最後の帰郷①安芸船震天丸

 オランダ商人ハットマンからライフル銃1300挺を買った慶応3年9月14日、安芸船震天丸を傭船して18日長崎を出航、20日下関に寄港、伊藤俊輔と面談。その日のうちに土佐へ向かった。震天丸にはライフル1000挺が積み込んであった。300挺は伊達小次郎(陸奥宗光)らに分与し、大坂へ直行させた。
山内容堂は、龍馬と後藤象二郎の献策を受けて、大政奉還を決断していたが、薩長の動向を見ると、一方で武力討幕の準備も怠ってはならなかった。
乾(板垣)退助らによって兵制改革と軍備充実が進められていても、土佐藩は近代的装備を欠いていた。
龍馬はそういう情勢を見極めて独力でライフル銃1000挺を調達し、高知へ運び込んできたのである。
山田一郎著 坂本龍馬ー隠された肖像 より)