山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

龍馬最後の帰郷②土佐藩の状況

 龍馬が帰国した際、仕置役 後藤象二郎は京都へ行っていて留守だった。
武力討幕論の大目付、乾退助(のち板垣)はその過激論のゆえ容堂によって軍政の責任者から一時下ろされていた。のちに板垣が自由民権運動を起こす兆しは欠片もない。
家老や中老、重役の中には頑固な保守派、佐幕派が座を占めていた。
上士勤皇派はいても数は少なかった。
武市瑞山を喪った土佐勤皇党も一頃の勢いを失っている。

この船に同船していた岡内俊太郎は佐々木三四郎の密命を帯び、藩庁への長崎の景況報告を表向きの理由とし、実は龍馬の活動を助けるため帰国したものです。
その名前はあまり知られていないが、この龍馬帰国に際し、龍馬を助けての活躍は実に見事というしかありません。龍馬の年少の同志と云える。   (山田一郎著 坂本龍馬ー隠された肖像ーより)