山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

龍馬最後の帰郷⑤

 「龍馬来宅」
坂本龍馬 才谷梅太郎。母二十二ノ時、直正出生ノ前年来宅。(母妊娠5ヶ月ノ時)坂本ハ権平ノ弟二シテ郷士御用人本丁ニ住ス。才谷ハ色黒満面ヨミアザ(注=方言ソバカス、またアザ)アリ。総髪ニテ羽二重紋付羽織袴(白キ様ナル縞ノ小倉袴)、梨地大小。髪ウスク柔和ノ姿ナリ。一弦琴ヲ玩べり。・・・
氏神(仁井田神社)神事ノ日ニ来宅(旧9月23日)。旧浴室ニテ入浴。何レモ言語少ナシ。
当時、坂本ハ小銃ヲ芸州藩ノ船ニ積込、佐々木ニ面会ノ為ニ土佐ヘ来レり。本船ハ袂石ノトコロニ着。父上、其ノ朝招ニ応ジテ行カレシガ、能瀬作太郎(平田為七ノ甥、後楠左衛門)ト共ニ一行ヲ案内シテ、藪ノ方ヨリ宅ニ導キシナリ。』

震天丸は浦戸港外に一旦投錨した後入港し、「あこめ渡合」(直守)、「袂石ノトコロ」(直正)に碇泊した。この二つは同じ場所である。龍馬は甲板に出て5年ぶりに見る浦戸、種崎の風景を目を細めて眺めていたことであろう。・・
龍馬の一行は裏の竹藪の方から、亀太郎に案内されて家に入って来た。種崎の内海側は桑野神社一帯に大竹藪があって寂しい所であった。人目を避けてわざとその方から導いて来たのであろうか。その日は氏神の仁井田神社の秋祭りで表の通りは人の往来が多かったのだろう。