山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

友遠方より立ち寄る・諭吉煎餅

 うん十年のその昔。ふと立ち寄った明石駅前山陽横丁のカレースタンドでMMC缶詰カレーを食べたばかりにその後の人生を大いに、間違えた有野氏からTELあり。今日午後5時西明石で待つという。
何時もの、大阪出張の帰りかと思いながら、OKの返事をする。
飯を食いながらご無沙汰をお互い詫び合うことになるんだが、急なこととて予約するべきお店が満席だ。
しかたなく、合流してから何処かに飛び込もうとなって、落ち着いた先が弘子ちゃんの顔が利く「藤原」。
明石料理との看板で、今旬の飯だこ。それもお刺身があるらしい。それにアナゴがお勧めとか。
ぶっつけの割には良いお店を選んだことになった。
今回は国のお袋さんの御見舞の帰りということだ。勿論会っての話と言ってもこれということはありません。馬鹿話とほろ苦い思い出が入り混じって、時折知らなかったことが飛び出したり。とくに今盛り上がっている龍馬レターのことになって、一万円札を龍馬に変えてはとの手紙が来ていると話を出すと、急に顔付が変わった。
そうなんだ、彼は豊前の国中津市出身で、中津と云えば福沢諭吉の故郷。それも旧福沢宅から100メートルも離れていないところに暮らしていたとか。
それこそ諭吉でないと日も暮れない町の出身だ。そういえば三井の中興の祖・中上川彦次郎も諭吉の甥っこだし、雪印創業の一人・宇都宮仙太郎も中津出身だったはずだが。
ひとくさり、諭吉と龍馬の比べっこがあって、結論は龍馬さんは五万円・十万円札に登場願うことに落ち着いた。
さて御勘定となって彼が差し出したのがなななんと諭吉の顔が焼き付けられた一万円御札せんべい2枚。
どうやら、今日は私のおごる番ということか。
SBSH0001_edited.JPG