山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

見舞いの筈が紀伊由良・クエ鍋①

 久しぶりに「何でこうなるの」事件発生。なにせ車で出かけると、次々と場面が転回して止まるところを知らなくなる。例えば、大山の紅葉を見に行って、思わず足を延ばして出雲神社・温泉津・石見銀山と走り回ったの等がその典型だ。

今日は、弘子ちゃんの定期検診で神戸中央市民病院で血液採取。ついでに三宮駅で業者仲間と打ち合わせて、その足で、大阪住吉区の受念館で療養中のH君をお見舞いする予定で家を出た。
H君は淡水サッカーの2年後輩で、共にグランドを走り回った仲間だ。
その彼が、一昨年の11月に多分軽度の脳溢血に見舞われた。その事を、仲間の誰にも知らせずにいたのだが、昨年1月16日のたまたま彼が懇意にしているY君という山中温泉の温泉宿の社長さんに、山中温泉の売り物旅館の事を聴いて貰おうと電話を入れたところ、留守電になっていた。
何時もなら、その日のうちに折り返し電話が帰って来る筈が、その日は返事が無い。
どうしたことかと思っていると翌日、彼の携帯からの電話が入った。
ところが、聞こえてきた声に覚えが無い。一体誰かと聞きただすと、H君の兄だと名乗る。
その兄曰く「Hは去年の11月に脳溢血で倒れ、今は阿倍野の某病院で治療中」との話し。
これは大変と、仲間3人に連絡して、様子を見て来るように依頼した。
というのも、私はちょうど前立腺の摘出手術のための入院が17日と迫っていたためどうしても入院先に駆けつけてやれなかった。・・・
その後、仲間からの連絡で、お兄さんから当分面会を止められているとの状況が知らされた。

そのH君が、受念館に所を変えて、面会も十分可能との嬉しい報告が、前会長吉田氏からもたらされたのが先週の土曜日のこと。
となれば、早速お見舞いにとなったわけだ。

やっと見舞えたH君は意外と元気で、色は白くなっているものの、人懐っこいあの表情は変わっていない。
後遺症も大したことなく右足に少々の違和感が残るのみとか。
雨が降る中、近くの喫茶店に連れだして、約1時間無事と無沙汰を詫びあった。
話はもっぱら斃れた前後の状況と現役時代の思い出話し。特に昔話が効果が有って、記憶のすき間を埋めるように話が進んだ。
アッというまの一時間が過ぎ、少し疲れを見せたので、今日はこれぐらいで帰ることにして、皆が激励会を企画していることを告げ、再来を約す。

予想以上に病状を感じさせない回復ぶりに本当に良かったを連発。心も軽く受念館を後にしたのだが。