山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

鈴木先生消息届く

 2008.5.17-7.16の恩師の面影のカテゴリーで鈴木先生の思い出と今、如何しておられるかの問い合わせに2008.5.9に御逝去の事を知った経緯を書いた。
やはり、先生の消息を何とかして知りたいとしたことのもとは、虫の知れせであったんだと後悔迫に立たず。
なお、遺族の方のその後を含めて問い合わせたが、先生の事までで精一杯の状況でした。

今日、突然知らないナンバーのそれも026局番の電話が入った。
「明石の津野さんですよね。私は長野県茅野市の不動産業者ですが。」
一瞬、長野方面で何か案件が有ったかどうか考えた。・・・
すると「鈴木先生の消息をお尋ねになっていた方ですよね。」
「そうです。失礼しました。確か先生の著書出版社の担当の方にお尋ねしておりましたのは、私です。」
「何処からか、先生のその後のお尋ねのFAXが入り、それに津野さんの電話が記してあります。」
「ありがとうございます。ところで先生の奥様はどうされておられますか。」
「私は10年前、先生が茅野市にお住まいを探しておられた時、今のお宅をお世話したものです。先生御逝去のあと、御婦人も養護施設に入られて、そのお宅の処分も致しました。先生のお墓は上諏訪社近くの法華寺に祭られています。詳しい事は週末FAXいたします。今日はお知らせまで。」と電話が終わった。

今迄に下諏訪は2回、上諏訪は一度尋ねている。備忘録を開くと、2006.4.30-5.7の東京行大作戦の途上、永平寺にお礼まいりー九頭竜川を遡って郡上八幡下呂と走り、裏木曽街道を通って中津川IC-岡谷ICから下諏訪神社上諏訪神社とお参りした。
その頃には、先生は茅野市にお住まいだったんだ。
よもや、そうとも知らず、お会いするチャンスを逃していたとは。今更の悔しさがこみ上げて来る。
おまけに、今地図を広げると、軽井沢ー佐久市ビーナスラインと遊んだルートはまさに茅野市そのものだ。
過去2回もニヤミス。申し訳ないという言葉しか出てこない。
奥様をお尋ねしても、先生の教え子のなかでも落第生のことなど話されている訳が無いだろうし、せめてお墓をお尋ねすることしか遺されていない。