山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

明石婦人サロン代表・池田智恵子ゴッドマザー逝去①

 表記の池田智恵子女史が8月22日亡くなられたと今日聞かされた。96歳。
数年前に一線を退かれて老人ホームで療養中だあったが、新聞の奈辺を見ても彼女の事跡を惜しむ記事が見当たらない。お付き合いで言えば、私が物心ついたころには親父のさんよう喫茶の常連としてお馴染になっていたから、ほぼ55年以上となる。
そんなことから、やはり彼女の事跡を知る限りで書かなくては申し訳ないと考えた。
そもそもは明石婦人連合会の有志が集まって、明石初の女性市会議員にと女史を担ぎ出し、さんよう喫茶の西隣に事務所を構えてママゴトのような選挙活動をされたのを覚えていて、結果は惜しくも落選とはなったけれど、その時の絆を無駄にするのを惜しんで明石婦人サロンを起ちあげられた。
爾来彼女が50年以上に渡って指導されてきた明石婦人サロンの代表を務められ、大正3年生まれとあればなお明治の気骨を供えられた女傑の一人。
ゴッドマザーとは私が命名させて頂き、ご本人にもそう申し上げた。その度にこの人は酷い事を云うと笑い飛ばされた。またこのグループが池田代表の号令一下整然と行動する様子から明石の圧力団体とも申し上げた。
そこまで厚かましく言えたのは、親父の兄の嫁方の親戚でもあって、身内扱いを頂いたということからだ。