山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

ゴッドマザー池田智恵子女史②

 創設40周年記念誌(2000年11月26日)を見ると、この文化団体 明石婦人サロンのメインテーマは『人生讃歌/究極をもとめぬエイジレス』とある。このテーマはこの会が進化するにつれて変化したのは当然で、女史は常に社会の流れの先を見越して会員を指導された。1980年の頃は手作りのグループとして『実り多い人生を生きる為に』とある。
最盛期には200名近い会員を集め、最低限の会費で、最大限の恩恵を施すと言う神技に近い事業を48年に渡り継続された。
世間的に云えば、姑が喜々としてサロンに出かけて行けば、嫁さん連中の息抜きにも成るし、婆さんが色々と教養を身につけてくれれば、家庭内の平和も保たれると言うもの。
ところで、月1回の定例会には教養講座・文化講座と称される講演が用意され、之のゲストとして迎えれるゲストの顔ぶれたるや、半端じゃありません。これが一地方のグループが招いたメンバーとはとても思えない名前が180名近く連記された講師・ゲスト(抜粋)一覧を今見ています。
村山リュウ女史は顧問的存在。山崎豊子新珠三千代杉村春子(この流れから有馬稲子栗原小巻椎名麟三・田鍋聖子・森繁久弥浪花千栄子永六輔西条凡児中内功加藤大介・水原茂高田好胤淀川長治・加藤登喜子・陳舜臣・松福亭松鶴辻久子小沢栄太郎片岡仁左衛門等、之は一覧表5段の上段抜粋だ。
これ程の顔ぶれを女史のネットワークで殆ど顎足で招いた。むしろこの会に招かれることが誇らしいように。
さすれば、会員の求心力はいよいよ高まり、会場は女史の号令一下厳粛にひたすら話に聞き入る。
グループごとに行事の当番を決め、その運営についても細かく意見を述べ指導する。度々のイエローカードに当番の婆さん連中が顔色を変えて勤める。
特に年末のクリスマスパーテイーは私のお店を借り切っての盛大な会で称して『アデュー・2000年』てなもので生涯独身を通した女史らしく、少女のようなロマンチックさを持ち続けられた。
洋画鑑賞がお好きで一緒に映画館にお供した会員の話によると、キスシーンでは『貴方がたもあんなことをしているの』との御下問があったとか。その話を聞いて吹きだした私め失礼いたしました。
お陰で大スター有馬稲子さんの歌のピアノ伴奏を命じられ、その至らぬ演奏に歌いかねて稲子さんが目を白黒されていたのが一番の冷や汗三斗の思い出となりました。
惜しむべしゴッドマザー池田女史忘れ難し。・・・・合掌・お世話になりました。