山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

DEEP・死の瞬間何を感じるのか①

週刊ポスト1.14-21号の特集「死の瞬間」のタイトルを見て久しぶりに週刊誌を買ってしまった。
常々、根源的な疑問として「何故俺が俺で、あなたはあなたなの」という個人意識の中でも自分が自分を意識する不思議さです。この正月ボストンから帰国していた40年後のノーベル賞候補と予見している甥っ子ドクターにこの事を聞いてみたりする。そして、その次に知りたいのはこの「死の瞬間」そのものである。多分強烈な痛みを感じるのだろうが、其れがどれ程続くのか。その時の衝撃はどれ程のものなのか。しかし、独り生まれて独り死んでゆく我々にとって知りえない彼岸との境を越える際の事象を知る由もない。今という永遠に今しかない時間の刃の上で、世俗的な苦労に明け暮れ心の休まる間もない人生の最後に待っているこの最大の一大事。
思えばこの世に不自然なものは存在しなくて、多分老衰であれば自分自身も忘却して知らぬ間に死ねたり、病の果てに自分の身体を持て余し、耐えられない倦怠感の中、もうどうでもいいやとなって昇天してゆくのか。あるいはピンピンコロリの好運を授かるのか。
このポストの文中、「生物がすべて死ぬ運命にあることは、DNAに刻まれた既定事実です。もし死の瞬間がとてつもない苦痛を伴うものなら、おそらく死についての遺伝子情報は書き変わる筈です。」とある。しかし「それに死ぬのは一生に一度だけ。苦痛に満ちていても、もう二度と経験することはありませんから、安心して下さい」とお気楽なことを書き続けている。・・何を言ってる、それこそが問題なんじゃあないか。