山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

大震災と政治状況

連日伝えられる悲惨な現場と、それでも芽吹く希望の光。その全てが心に焼きつく毎日。
とてもその事ごとを書き留めては行けないが、この国を襲った大震災の余りにも悪いタイミングを想うといまの政治状況を狙い澄ましたような、見透かしたような感じを拭えない。
今回の東日本大震災と1995年阪神大震災、1923年関東大震災。この3つの震災に共通する事の1つに、政権基盤が弱い内閣か、政府が事実上「不在」のタイミングでおこったと言う事が有る。
自然と歴史の偶然とはいえ国民にとっては最大不幸といえる。
関東大震災は、加藤友三郎首相の急死後、後継の山本権兵衛が組閣を終わらぬうち起こった。それでも、大地震のわずか5日後に内務大臣の後藤新平が「帝都復興の議」を提案し、強烈なリーダーシップで東京の再建を進めた。他方、阪神大震災が起きた時、政権は村山富市社会党党首を首相とする自社さ連立内閣であった、村山首相の初動は遅くリーダーシップは弱かったが、爺さんは各所に徹底して頭を下げ国民を救ってくれと頼み続けた。これにより、官僚の一致協力を得ることになり、態勢を立ち直らせた。村山爺さんは官僚等の専門家を信頼して仕事を任せるおおらかさで危機をひとまず乗り切り、その後に潔く辞職した。
さて問題は今回の大震災に臨んでの菅首相以下の取り組みである。政治主導と脱官僚に自縛された菅首相のもとで、手足として働くべき官僚機構のヨコの連携がとれず、首相に連なるタテの指揮命令系統が機能不全に陥っている。かくして、助かるものも助からない人災とも言うべき悲劇が日本列島に襲いかかる様相を呈して来た。