山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

11月11日林謙三宛の手紙

前日林に手紙を認めているにも関わらず、翌11日龍馬は永井との面談の後、またまた林にその内容と感想を書き送っている。
永井は龍馬を「後藤よりも一層高大にて、説くところ面白し」と高く評価していた。
龍馬はこの日もその永井とあって、徳川の天下を「お気の毒とも言葉に尽く死申されず」と惻隠の心を記し、なお永井を「ヒタ同心」とまで書き記している。
その書状の最後の言葉は偶然か故意か意味深い。「大兄御事も今暫く命を御大事になされたく、実は為すべきの時今にて御座候」とまるで自分自身に言い聞かすが如く「やがて方向を定め、修羅か極楽かにお供申すベく存知奉り候」と結ぶ。まるで己の運命を占うかのように。

この龍馬の最後の手紙に何事か感じたのか、林は暗殺の前日11月15日に大坂を発って16日未明京都に入り近江屋を訪れる。
そこは凶行直後の現場であって、そののちこの修羅場の様を文書に残している。

「処〃ニ血痕ノ足跡ヲ認ム。余ハ坂本氏ノ安否ヲ正サント、覚エズ階上ニ突進シ、氏ノ室ニ入ルヤ、氏ハ抜刀ノママ流血淋漓ノ中ニ斃ル。眼ヲ次室ニ転ズレバ石川清之助(中岡慎太郎)半死半生ノ間ニ苦悶セリ。又隣室ニ従僕声ヲ放ツテ苦悶シツツアリ。其背部ニ大傷ヲ見ル。既ニ絶命ニ近シ」〔林謙三自記「犬尿略記」より]

某日、3人の遺体を鳥野辺に埋葬する。