山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

サッカー命の日々・快男子^河内の暴れ者ー松本靖弘主将G15ーG16津野伸一寄稿③

同じ35周年記念号P74に私の一年上のキャップテンだった松本靖弘先輩が『こころのイレブン』と題して一文を寄せておられる。
田中教授の退官を惜しむとともに、当時の現役の有様に触れ一回生の時の京都合宿でのハードトレーニングを振り返り、現役への励ましの言葉を綴っておられる。
そして、3回生のリーグ戦で念願の2部復帰を果たした歓びを最大最高のこととむすんでおられる。あの京都・西京極のグランドで阪大に3-1で快勝したあの日のことを。
・・そう、多くの良き先輩に恵まれる中で、特に思い出に残る一人である松本靖弘センターフォワード
そのころ、何故か山陽電鉄西舞子駅の近くに、石川家と呼び慣らしていた下宿家がありました。そこは謂わば、サッカー部御用達と言うか、代々引き継がれた梁山泊でありました。
私が知っているだけでも谷本・堀川・松本・楠瀬・則・須藤・浜口・三枝などの名前がすぐさま思い浮かぶほど、サッカー部員がまるで、トグロを巻いているような、といっても家主の石川の伯母さんの統率の下、こざっぱりとした雰囲気の下宿であったことをおもいだします。
私が1回生で入部早々、早速この下宿の、松本・楠瀬コンビからRIO・BRAZIL(親父経営の明石駅前の喫茶店)にいる私にご指名の電話が繋ってきた.。
明石駅前の未亡人サロンに飲みに来てるんだけど、お勘定が払えない助けてくれ。』その店の名前を聞くと、知り合いのヤクザ屋さん経営の誠にイカガワシイお店。そんな店で二人して、怖いもの知らずのドンチャン騒ぎをやらかしたらしい。
少々の手持ちでは足りなくなること当たり前。「よーあんな店へ行くわ」と呆れ返りながらも、親父に寸借して駆けつけた。一つ間違えれば、ボコボコになるところであります。
そんなことがキッカケで、好漢松本とのお付き合いが始まったわけだ。
ところで、このムチャ者が、一度グランドに現れると、まるで人がちがったようなFWに変身する。中学・高校と岸和田で慣らしたもんやガ口癖だった。
小柄な身体ながら、ダッシュの最初の5歩の出足の早いこと。身体を張ってのドリブル。そして火の出るような鋭いシュートと謂わば根っからのストライカーに生まれてきたような男であります。
入る大学を間違えたんじゃないのかと疑りたくなるような代物です。
といいながら彼からは、代々部に伝わる授業のノート、それもここ数年の試験問題まで付記してある優れものを譲り受けたり、当時珍しかったYASUDAの注文シューズの注文書を貰ったり、こまめにお世話いただきました。
そんな松本ちゃんを擁した私が2回生のリーグ戦。3勝2分とリーグ戦を勝ち抜いて優勝し、いよいよ念願の2部復帰(決して昇格とは言わない。あくまでも2部に帰るのであります。)のための最終関門である大阪大との入れ替え戦
確か一戦で引き分けての再戦が京都・京極のグランドでありました。その試合で、勝利を決定付ける2点目。それもセンターサークルの辺りから私が思わず一蹴した玉が運良くGOALのBARの下を掠めて入っちゃた。
一瞬何が起こったのか誰もがあっけにとられて佇む中、応援に駆けつけておられた帝人・北村先輩が両手を広げてグランドを突ききって駆け寄り、ようやったようやったと私を押し倒して、感涙の抱擁とKISSのプレゼント。おもえばあれが男性を知り初めし最初となるのか。