山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

203高地の真実③ロシア・日本両軍の兵力と消耗


明治三十七年(1904)6月1日広島宇品を発った第三軍は、6日に張家屯に上陸。ロシア軍は騎兵を中心に遼東半島の各処に姿を現し、日本軍との小競り合いを繰り返す。
乃木はこの衝突を制してロシア兵を排除しない限り本格的な旅順要塞攻撃には掛かれないと判断。二十六日から歪頭山・剣山の攻撃開始。この2つの山は、大連と旅順を結ぶ遼東半島の中央に広がる山岳地帯に聳え立、標高368mの剣山頂上からは大連港がよく見えた。さらには旅順背面のロシア軍砲台も遥かに望める。
「両山は戦術上の重要拠点」との乃木の読みは当たった。第三軍はこの日の夕方までに両山を攻略、翌日には尾根続きの大白山を陥す。続いて28日には大鉄匠山をに侵攻、右翼の安子山から、左翼黄海に臨む小平等島にわたる線を確保した。
しかし、7月3日、今度はロシア軍が反撃を開始。日本軍は猛攻撃の前に押し戻され剣山を除く周辺地域一帯を奪い返される。その上、ロシアの巡洋艦「ノビーク」と砲艦三隻、魚雷艇などが旅順港を出て、剣山奪取部隊の掩護射撃による損傷被害が重なった。なお三日間を費やして第三軍は再び剣山周辺を奪い返す。まずは緒戦勝利。しかし直ぐにも猛烈なロシア軍の反撃に立ち向かうこととなる。