山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

島原の子守歌・昭和59年5月22日

まぼろしの邪馬台国」を録画していてやっと昨夜見ることが出来た。といっても主演・竹中直人とあれば本当は見ない作品だ。しかし、吉永小百合とあれば見ないわけにはいかなくなる。
邪馬台国といい、最初は早送りで見ることに。
映画のストーリーは頑固一徹・傍若無人な主人公・宮崎康平の半生記なんだが、舞台が島原半島だったことが、意外な思い出に〓がって、今さらながらセンチメンタル・ジャーニーを味わった。
長崎ー島原半島を結ぶ島原鉄道は日本の鉄道としては早期に開設された。その島原鉄道が一層の乗客誘致のために昭和31年島鉄バス(観光バス)を立ち上げる。
その発案者が宮崎康平。映画では島鉄のオーナー社長。実際は常務取締役。そこへ、バスガイド養成員として招かれたのが福岡でラジオのアナウンサーをしていた吉永小百合というわけ。
映画の説明はこんなところで、劇中、宮崎康平が口ずさんだのが「島原の子守歌」。この懐かしい子守歌が、康平が妻に逃げられ、残された2人の子供をあやすのに自ら作詞作曲した子守歌というのだ。

私が初めて島原の子守歌を習い覚えたのは、明石高校3年の5月に行った九州修学旅行の際、バスガイドさんが切々たる歌声を聴かせてくれて、たちまち口ずさむこととなったもの。
早速、年表を調べてみると昭和34年のこと。
島原電鉄バスが営業開始したのが昭和31年。8人のバスガイドを即席無理やり仕立てあげてバスに乗せたそうな。
実はその時のバスガイドさんに、純情可憐な高校生は皆と言っていいほど淡い恋心を抱いたものだ。
その中で、旅行後文通に及んだものは、ほんの数人。そしてその数人の一人が私め。
いま、何故か大切に保管している、懐かしい写真の数葉の中から、そのガイドさんの写真が見つかった。裏には名前・住所・生年月日まで記されている。昭和14年6月2日生まれとあるから、その年高校を卒業してガイドになったばかりだ。
そういうわけで、偶然目にした映画の場面と、私の思い出の地が〓がってしまった。
こんなことはそうあるもんではない。思わず、55年前に引き戻されて、写真にじっと見入ってしまった。