山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

日本の南北問題

朝鮮半島の南北問題は60年経った今も38度線を境に一指触発の危険を孕み厳然と存在する。一方、この国日本の皆様は、韓国・北朝鮮のようにならなくて良かったと対岸の火事・出来事の如く思い込みがちだ。
しかし、太平洋戦争後、この国にもしっかりと南北問題は存在し続けている。
それが、沖縄基地問題北方領土問題だ。

まず沖縄。太平洋戦争も後半となると、勢いづく連合国軍といっても米軍中心は、太平洋諸島を飛び石伝いにあっという間に攻め上がる。サイパン・グアム・テニアン・レイテに上陸開始は4ヶ月の間になされ、同時並行作戦と言っていいだろう。
硫黄島に上陸開始のひと月後には東京大空襲があり、終戦の寸前まで、大量殺戮の無差別絨毯爆撃は日本国中の軍都を手始めに、あらゆる都市を焼き尽くしてゆく。
そして沖縄戦に突入し20万の軍・島民が犠牲となった。この時、軍は非戦闘員の沖縄県民を邪魔者扱いし、無残な犠牲を強いた事実が多数記録されている。
日本軍は沖縄戦を本土決戦の前哨戦と見ていたんだろう。最後の航空兵力を投入、それも人間爆弾・特攻を繰り返す非人道極まりない作戦を用いての無能ぶり。偵察水上機赤とんぼまで投入された。一体何の意味が有ったんだろう。
最低沖縄での軍玉砕段階で講和を考えるべきが、なお本土決戦・一億玉砕を叫んで、竹槍作戦を準備。当然連合軍は九十九里浜に上陸と予想して残存兵力をかき集める。
そんな狂乱状態の中、止めの広島・長崎の原爆を見舞われ、あえなくも無条件降伏の時を迎えた。
連合軍の艦砲射撃・絨毯爆撃に曝された沖縄は、本土攻撃のための航空基地が恐るべき機械による土木工事で整備されて行った。何せ砲撃爆撃の瓦礫をかたずければ滑走路が出来上がる。
かくして、日本独立後も米軍統治のまま放置され、返還後も実質は米軍が基地に不必要な土地だけを返還したに過ぎない現実がある。

一方、北方領土のことだが、戦争末期日露平和条約を破棄したスターリンはこの時とばかり、ノモンハンを超え、満蒙に攻め入り弱体化した関東軍、取り残された満蒙開拓団をはじめとする残留日本人を蹂躪。挙句日本兵65万人が抑留され、そのうち約6万人がシベリヤの凍土に骸を曝した。なお、米軍の日本上陸に焦ったスターリンは降伏宣言の8月5日を超えて樺太・千島の日本領土を占領し、北海道上陸を狙って最北端の町根室の目と鼻の先北方四島を確保した。
その狙いは、最低北海道は支配下に置き、なお津軽海峡を渡って東日本を攻め下る計画があった。

そうなれば、埼玉県の北部緯度36度20分が引かれ南北日本となる悪夢のような事態も考えられた。・・・あな恐ろしや。
それだけに、今の状況を奇禍と捉えて沖縄基地問題北方領土返還を真剣に取り組まないことには、やがて日本の存亡を危うくすることになりかねない。
まして、コーヒーブレーク長官に日本の防衛を放りまかす場合では断じてありません。