山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

蕗谷虹兒・花嫁人形・・・これも親心

きんらんどんすの 帯しめながら
花嫁御寮(はなよめごりょう)は なぜ泣くのだろ

文金島田(ぶんきんしまだ)に 髪(かみ)結(ゆ)いながら
花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

あねさんごっこの 花嫁人形は
赤い鹿(か)の子の 振袖(ふりそで)着てる

泣けば鹿の子の たもとがきれる
涙(なみだ)で鹿の子の 赤い紅(べに)にじむ

泣くに泣かれぬ 花嫁人形は
赤い鹿の子の 千代紙衣装(ちよがみいしょう)

【どこか弘子ちゃんに似ていません。】
東北の竹久夢二ともいえる蕗谷虹兒が『令女界』の巻末に、予定されていた大御所の詩が入稿せず、急遽書き上げたのが童謡詩『花嫁人形』だ。
特にこの挿絵は、彼の大正モダンの画想とはちがって、早くに死に別れた、それはそれは美しかった母をイメージして書き上げたもの。
後、兵役を終えて故国に帰ってみると、この詩に曲が付けられ巷に大流行となっていた。
虹兒これに驚いて作曲家杉山はせを氏に抗議したが、のちに野口雨情の取り成しで事は収まったとか。