山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

高橋是清「天佑なり」抜粋①

日本は一体何時何処で道を踏み外したのか。日清・日露を経てようやく先進国の仲間入りを果たしたかのような錯覚が招いた判断誤認が那辺に有ったのか。
2.26で唯一人経済人として粛清の標的となった高橋是清の生きざまに、その謎を解くカギがある。神戸新聞連載中の「天佑なり」からキーワード・重要文書を抜粋してみようと考えた。
特に日銀総裁に就任して陸海軍の予算上の横暴・暴発に対抗せざるを得なくなった頃から、凶弾に倒れるまでの是清の首尾一貫した信念をもう一度辿ってみよう。
日銀総裁に就任してまもなく、是清は当時の総理大臣で大蔵大臣兼任の桂太郎に向けの上申書提出。
 【歳出の削減、特に過度な軍事支出を避けるべき。陸軍師団増設、海軍拡張を抑制し、獲得した外資は可能な限り国内産業に仕向け、輸出の拡大を図ること。即ち民力の要請が最優先との意見。】
②是清は日銀副総裁として12年3ケ月、総裁として1年9ケ月
③大正2年2月海軍大将・山本権兵衛が16代内閣総理大臣として組閣する際、是清を大蔵大臣に就任要請さる。