山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

酒井利貞大人命・ピンピンお守りコロリ札

弘子ちゃんの人丸小学校5・6年の担任は酒井利貞先生。戦後のGHQ指導の教育改革期、神戸大付属明石小学校・清水一郎先生提唱のグループ教育の最初の洗礼者。
清水先生の最初のモルモットが我々清水学級4-6年の面々。
酒井先生最初の赴任・担任と言うことで、この学級の結束はまことに強く、何時の頃からか、まあ30年はくだらない昔から、年1回の旅行は欠かさない。
酒井先生は教職の傍ら、地元たつの市崇道天皇神社の神主として永年地域社会に奉仕の毎日。
その先生が11月20日焼死されたとの仆報が届いた。
石油ストーブの油を注ごうとして発火、2階屋が抜け落ちるほどの猛火だったとか。
そのお通夜でのお話では、一度は現場から脱出されたのに、止めるのを振り切って神社重要書類を持ち出そうと、引き返したとのこと。責任感の強い先生ならではながら、そのことが悔やまれてならない。
永いお付き合いの中で、私が先生にお願いしたのは、神社で孫授けの御札を出してはとの提案だった。子授けの神社は数多あるが、孫授けは聞いたことが無いと熱弁。何とかならないかと身の事情もあって口説くこと頻り。
そのたびに先生苦笑いを浮かべながら、崇道天皇神社の売り物にしては方向が違うとの返事だった。
2年前の学級旅行の際、先生から保久利神社札創設の報告が有った。今申請中で、これが認められれば先生の次に我が夫婦が認定されるとの約束も。奥さんには真っ先に話して見事断られたらしい。
その際、御札のスローガンとして考えたのが「ピンピン守り、コロリ札」。これならお守りと御札両方が売り物になると先生も商売気を出されたな。
おまけに、このアイディアのお礼ではないが、平成25年の伊勢神宮遷宮祭には私も学級旅行に参加してよろしいとのお墨付き頂いた。
たつの大和会館での通夜式には氏子から教え子、学校関係者等盛大なお見送りがあり、神式の、それも宮司の通夜式となれば厳粛そのもの。
祈りを捧げる無音の柏手の先で、先生のまさに地で行った「ピンピンコロリ」のつぶやきが聞こえるよう。