山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

2008年のクリスマスイブ

今日はクリスマスイブ。平成の世、天皇陛下のお誕生日が12月23日となってから、暮れの様子も随分と変わってまいりました。
昭和の御代、11月の第4金曜日あたりから忘年会とやらが始まると、12月23日くらいまでぶっとうしで連夜のどんちゃん騒ぎ。ご予算の方も一人1万円はくだらなかった。
24日になって、ハッと気が付き子供たちへのクリスマスプレゼントとケーキを持って家路を急ぎといった具合でした。
当今はいささか様子が変わり、高級料理屋は敬遠され、飲み放題で5,000円ポッキリといった居酒屋での忘年会となっているようです。
この変わり様はその昔、年末・年始の宴会需要をあってこんで過ごした身には、早く宴会屋稼業を辞めてよかったと、進路変更に誤ちが無かったことの裏付けのように思えてなりません。

私どもも、例年イブには一家が打ち揃い、ドンク特製のフルーツケーキにナイフを入れ、鳥寅精肉店に特別に厚切りさせた和牛ステーキの鉄板焼きを頂いて、楽しいクリスマスパーテイ。
それが、1983(昭和58年)のクリスマスイブ。7月26日に本人は治ると信じて胃癌の手術を受け、一時小康を得て三月。そろそろガン性腹膜炎が進みだして不調を訴え出した12月。
体重も減り続けて骨と皮になっていたが、恒例のクリスマスイブに皆集まろうと親父が言い出した。その後、10日で息を引き取ることになるわけだから、本当はイブどころの騒ぎではなかったはず。
周りも気遣って、ハラハラしながらも、孫たちにプレゼントを手渡す親父の姿に、胸が詰まって、涙をこらえるのに精一杯。妹郁子の3人目の子供・長女祐美子がほんと生まれたてで、ジイサンと最初で最後の面会を果たした。
やせ細った腕にうだこうとする。これで孫8人全部の顔が見れたことになった。
あれは親父の最後のお別れをしている姿であったんでしょう。あそこまで弱ればもう次のことは予感する。
最後までガンの告知はしなかったが、きっと本人はこのころには解っていたと思う。
なににしても、このクリスマスイブ以来、この年になるまで、いまだイブにはこの時のことが思い出されて、あの時果たして十分なことが出来ていたのか、振り返る勇気もないまま、少し辛いクリスマスイブを過ごしてきました。
ことしからは、去年の暮、家族一同が集まって25回忌を執り行ったことだし、もう我々の孫中心のクリスマスにしなくっちゃ。3人の孫へのプレゼント無事届いていることだろう。
・・・メリークリスマス FROM JIJI・BABA