山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

玉川さんのこと

神戸高知県人土陽会の他に、兵庫県内では尼崎高知系県人会があって、この会も今年で50周年を迎える。
この会の名物会長が玉川悦弘氏。まことイゴッソウを絵にかいたような人物で、常に一家言あり。会の名前にしてから、高知系と幅を広げて県人活動に努められた。
その玉川さん逝去(80歳)を知らされたのが去年の12月6日の近畿連合会の席上。家族葬と言うことで、広くは知らせなかったとのことだった。
玉川さんは7年前に肺がんを患われ、ずっとガンとの戦いがあるものの、悠然とタバコを燻らし、お逢いするたびにまで生きちょるよと声を掛けて下さった。
龍馬信奉家も並はずれていて、私が開催した龍馬検定神戸編に真っ先に参加して下さり、その様子は四国新聞に大々的に取り上げられた。もちろん合格。
そして、一番の思い出は、三男をロスに留学させる際。なんのコネも知人も無い中、玉川さんが率先して結成させていたロスアンジェルス高知県人会の会長さんを紹介して下さり、それだけを頼りに日本を飛び出していったこと。
送り出す親も、飛び出した息子も向こう見ずといえるが、玉川さんが差し伸べて下さった一本の糸を手掛かりに、カレッジを卒業して10年前に帰って来ました。
勿論三男は帰国早々お礼に伺ったが、今回の知らせに接し、私としてはどうしてもお参りをして、直接御礼を申し上げねば気がすみません。
と言うわけで、昨日思い立って弘子ちゃんと玉川さん宅に伺った。
尼崎市浜2丁目の珈琲館順を昭和35年から経営されていて、2歳年上の奥様も82歳で健在。娘さんが主にお店の切り盛りされている。
最後はすい臓がんでという話を聴き、さぞ苦しまれたのではとお聞きすると、本人は一度もそんな訴えをすることなく、病院もいよいよとなってたった一日の入院で身罷られた由。
あくまで玉川流を通されたと納得。コーヒーをいただいたあと、線香を手向けたいとのお願いも快くお許しいただき、遺影を挟んでしばし瞑目。  ・・・合掌