山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

伊勢神宮参拝・遷宮に沸く人波・酒井学級

弘子ちゃんが明石人丸小学校に5年生で転校して酒井学級に配された。担任の酒井先生は当時新卒バリバリで、戦後デモクラシー教育の先兵として大張り切り。グループ研究を始めとして生徒たちは自由奔放な先生の学級経営を楽しみました。
当然のこととして、卒業後もその絆は強く結ばれ、成人に至ってからは一層酒井学級の親睦は高まった。
有志を集い年1回の親睦旅行が始まったのは何時ごろからのことか、聞きただしても正確な年月は返ってこない。まあ25年以上かなぐらいに落ち着く。
と言うのも、20年前にはやはり伊勢神宮参拝を行っている。
酒井利貞先生はたつの市崇道天皇神社の神職でありましたから、伊勢神宮参拝に際しては特別扱いを頂き、深く神域にての参拝を許された。
前回は参拝当日雨に見舞われ、内宮のみに終わったとの思い出話。今回はもうずいぶんと前から、先生は生徒引率しての遷宮伊勢参りを楽しみなされ、こもごも計画を立てて居られた。
生徒たちも早々参加者を集い当初は20人ばかりの参加予定だったとか。
ところが、思いもかけず先生が去年11月19日居宅失火により亡くなった。
もちろん生徒多数が駆けつけ別れを惜しんだが、先生の伊勢参拝計画はご遺族にも話されていて、喪が明けた頃、神社の後を継がれる御長男から参拝同行の申し出を頂いた。
弘子ちゃんはこの参拝旅行が話に出た最初から、遷宮参拝に私を同行したいと申し出ていて快諾を得ていた。
そしてこの11日ー12日嫁の同窓会・学級グループの旅行におじゃまする違和感もなくハンドルを握って勇躍参加した。
教師冥利に尽きるとはこのことで、先生が亡くなった後、ご子息をやはり学級の中心に迎えられるなんて、そうそうある話ではありませんとの一同の結論。・・・心からの献杯、いやさか。