山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

親父18歳の日記帳発見

妹が保持していた思い出の品の中から親父18歳時の日記帳が出てきた。
1932年とあるから昭和7年の元旦から、日記を綴る決意が書き込まれている。
水産学校での調練の無理がたたって、心臓の弁膜症を患い、生死の境をさまよった末、次兄が大枚をはたいて高知の名医に縋ったのが功を奏して、一命を取り止めた。
病後どうやら役場の給仕・小使いに出て無為の時間を過ごしていたらしい。
正月、学校の休みが終わると、帰郷中の友人がそれぞれ大学に戻って行く。
親父一人がポツンと須崎に置き去りにされた淋しい気持ちが書かれている。
家庭の経済が上級学校進学を許さない。学費の要らない師範学校に望みを懸けたが叶わず、同じく学費の要らない水産学校に通学していたわけだ。
家業の風呂屋の番台に座るのが嫌だったとぼやいていた、そのままの姿が日記から浮かんでくる。
悪友から、同級の女学生の下半身事情を聴かれて困ったとも。