愛された記憶
妹が保持していた思い出の品の中から親父18歳時の日記帳が出てきた。 1932年とあるから昭和7年の元旦から、日記を綴る決意が書き込まれている。 水産学校での調練の無理がたたって、心臓の弁膜症を患い、生死の境をさまよった末、次兄が大枚をはたいて高知の…
東京から追い返された親父が四兄・岡田四郎を頼って明石に身を寄せたのは、昭和10年三縄ー豊永間が開業して旧高知線区間が多度津側と一続きになって、須崎ー多度津間を土讃線とされて間もなくの頃らしい。 さっそく職を探さねば居候の身は辛い。そこでどう…
その頃の悪友の一人が、鍋島平八郎小父さん。網が下りたときも一緒に捕まった仲間。親父が大切に保管していた100枚つづりのネガブックにも度々顔がでてくる。 究めつけは、神戸・湊川神社でのお袋とのデート写真にまでその姿がある。本当に嬉しそうに、親父…
・・・親父・清志さんは土佐の須崎は上分在で9人兄弟の8番目の五男。信太郎爺さんのアイデア倒れの事業失敗が祟り、家は赤貧洗うが如しの貧乏。なにせ爺さんは営林署勤めながら中学出の田舎インテリで鳴らしたらしい。 爺さんの若かりし頃は、競馬馬の2・3頭…
母の歳の離れた妹・和子さんは私をことのほか可愛がってくれたそうな。母は女ばかり5人姉妹の年の近い3人姉妹。そこへあと5人の妹が生まれたが、結局和子さんと末女・八重美が残った。 床屋を営んでいた源爺さんはしまいには、どちらが生まれたかとも聞かな…
おふくろの遺した写真類を整理スキャンしていると、昭和18年5月と裏書のある私の写真が数葉出てきた。 中には見覚えのある写真もあるが、まとまって出てきたのには驚いた。 その各葉には愛情に満ち満ちた親父のコメントが書き込まれている。 そして、私のお…