山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

惜別・平田勇一君G16回生同期

妹の49日も済、もう夏の喪服も用無しかと弘子ちゃんと話している傍から長本の電話。淡水サッカー総会の際、難病を患っている平田の様子を確かめてくれと依頼していたが、行きそびれて今、平田が亡くなったとの電話が奥様から有ったと。
多機能萎縮症という難病と戦っている平田君を囲む会を須磨・花月で催したのがちょうど2年前の2011.8.1のこと。
淡水サッカー学部16回メンバー5人の内4人が夫婦同伴で集合して歓談。体の機能は衰えても、頭は確りハッキリとして話に淀みもない。ただただ生来の好人物に一層磨きがかかった。
奥様曰く、一度も声を荒げたことが無く、何時もニコニコ笑顔を絶やさなかったとか。瞬間湯沸かし・沸騰人間の私には考えられないねと弘子ちゃん。
卒業旅行に行った湯村温泉・井筒屋でお座敷ストリップのダンサーにひらたくーんとしな垂れかかられて照れていた顔が何故か目に浮かぶ。
そう、長本と平田の結婚式の司会も任されたっけ。
平田は姫路のマッチ会社に就職後転職。大阪船場にYK商事を立ち上げ、主にアラブ諸国金襴緞子の生地を輸出していたはず。
大阪に行くたびに立ち寄っての四方山話し。グランドで汗をかいているイメージよりも、石川家でチー・ポンと麻雀三昧の印象が強く残る。
葬儀を終えて、これでこの家族の始まりから中締めまで立ち会えたことの絆に改めて感じ入る。
淡水サッカークラブからの弔電に思わず込み上げるものがあった。・・・・合掌