昭和28年卒業ということは、昭和23年4月入学だ。まだ敗戦から2年半あまり。なんで喫茶店の息子が坊ちゃん嬢ちゃん学校で名高い附属に入学を果たしたのか?
それも、喫茶店を始めて早々の時期に。
親父の教育熱心は、自身高等小学校卒業のあと、官費で行ける学校にしか選択肢がなく、師範学校は不合格で、水産学校に進まざるを得なかった苦い思いにあります。
その水産学校も遠泳の訓練がたたって重い心臓病を発症し、生死の境を彷徨った挙句諦めた経緯を何度も聞かされました。
それと、明石の頼る先・岡田四郎兄の長男が附属に2年前入学を果たしていたこと。
負けず嫌いに火がついたわけで、気がつけば、私自身なんとも場違いな学校に放り込まれた感じを持ち続けた訳。い・ろ組2組で80名ばかりの同級生。72歳にして集ったのは30名。
不思議と、秀才とガラクタ連中が集まった。