山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

東北の三大桜を訪ねて⑨十和田湖畔・乙女の像

                                                                                                      
翌朝霙さえ降る悪天候の中、湖畔に佇む『乙女の像』へ。バスが乗りつけた提携お土産店の店内を通り抜けて湖畔にでて、波打ち際を進む。かなりの距離があって、この寒さの中、なかなかの苦行となっ
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た。遊歩道の行き着いた広場に、かの智恵子抄で有名な高村光太郎作『乙女の像』は端正な表情をたたえつつも、かなりたくましい体つきの乙女の裸像が2体、左の手のひらを重ね合わせて、迎いあっている。水に映った姿を現しているとのこと。どちらが、本身でどちらが水面なのか。と想いながら、ガイドさんの説明に耳を傾ける。その設立理由を聞いて少しビックリ。と言うのも、その像の佇まいからして、そこにあるのはロマンチックな謂われがあるに違いないとの思いに反して、「十和田湖国立公園設立に始まる、十和田開発の三功労者と言われる、県知事・村長ともう一人・歌人大町桂月らの功績を讃えるために、昭和28年10月、国立公園指定15周年を記念して顕彰碑『乙女の像』として湖畔の休屋に建てられたものとのこと。ただ光太郎が智恵子さんの『東京には空がない』との嘆きを汲んで、阿多多羅山の空・古里の空に近いこの地に、かくあるべしとの智恵子像を創ったと言うことだろう。その表情は智恵子さんを、その身体は地元の健康そのものの乙女をモデルにしたと伝えられている。・・吹きさらしの中、お土産店に飛んで帰り、ストーブにかじりつくやら、熱いお茶をいただくやらで、やっと人心地がついた。
さて、大町桂月のこと。恥ずかしながら桂月を真剣に知ったのは、県人会総会のたびに戴く古里の銘酒が『桂月』・土佐酒造で、澤田社長が日本一小さな美術館と自負する大町桂月館を主宰されていると教えられたのが最初。むしろ与謝野晶子との「君死にたもうこと勿れ」の詩に対して、反戦歌ととらえたことから、皇国の国民として陛下に不敬ではないかと猛烈な批判が沸き起こり、特に大町桂月は「晶子は乱臣なり、賊子なり、国家の刑罰を加えるべき罪人である」と糾弾したことから、国士詩人ぐらいの認識しか持っていなかった。