山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

龍馬検定・神戸編パートⅡ序奏ー司馬遼太郎の竜馬

来る2010年4月神高知県人土陽会の80周年記念事業として、2007年4月に実施した龍馬検定・神戸編のパートⅡ決行は避けられない雰囲気となってきました。前回は土居晴夫先生の威を借りてのドンキホーテ的向こう見ずな、強引な、内容も一人合点を否めないもの、との反省を再出発点として、パートⅡの基調だけは早いうちに決めておかないと、前回同様のバタバタ検定になってしまいかねないと焦っています。
そんなことを考えるうちに、前回の検定で一番感じたことは龍馬と竜馬とのイメージの食い違いであることに気がつきました。受検された殆どの人が司馬遼太郎先生の「竜馬がゆく」を入口とされていること。云わば司馬ワールドのイメージにドップリひたっておられ、竜馬自身の事柄・それも創作されたエピソードと事実の違いに戸惑われた様子が伺い知れたように思っています。司馬先生が語る颯爽とした英雄男児竜馬がわずか33年の、それも僅か最後の5年に圧縮された濃厚な時を過ごしたことを考えると、なにもかもを竜馬中心に見てしまう司馬節あるいは司馬史観の魅力から逃れることは容易なことではないでしょう。もっと言えば、竜馬のコスプレで満足している段階から比べると、竜馬のイメージをもって勇躍検定を受検された方には、その思いを挫くような戸惑いを与えて、悪いことをしたような気がしないでもありません。そのうえ、パートⅠでの出題形式からして、4択の解答のどれが間違っていますかという問となっており、常識的な出題形式とは違っておりました。その目的は、100問4択の選択肢のうち、少なくとも300の史実を持って帰って貰おうという誠に不遜な考えがあってのこと。この点は今になって深く反省しているところです。
「ならば、パートⅡはどうすればいいのか」という命題を昨年来考えあぐねておりましたところ、文芸春秋7月号司馬遼太郎・日本のリーダーの条件なる対談の中に、あるいはよいヒントになるかも知れない文章を見つけました。対談者のひとり吉田直哉氏(演出家・文筆家)が司馬先生とロンドンにご一緒した際、「司馬先生が幕末・明治で誰でも好きな人間を留学させられるとしてら誰を行かせますか。」と聞いたところ、即座に龍馬の名を挙げられたとある。「龍馬が海外留学していたら、どんな大物になったか分からない。」と言われたという。「ある目的をもって海外留学をした人間が良いリーダーになっている。海外に行かずに惜しいことをしたのは、西郷隆盛と龍馬だ。」とも付け加えられた。司馬先生は両者のリーダーシップをこそ、今の時代に望むべきものと考えておられたことがよくわかります。
この対談そのものは、今この御時世でのリーダー不在を嘆き、幕末・明治のリーダー出現の時代背景を探るものでありますから、龍馬さんについてこれ以上の言及は見られませんが、この一文から龍馬さんが、その時々に如何なる人物と巡り合って、リーダーシップを身につけていったのか、その過程を探る内容も検定に盛り込むべきとの考えが閃きました。・・・だけどこれってかなりの難行になるのでないかな。